実は・・・勝手ながら2~3ヶ月くらいブログをお休みしようと思います。鞆に大きな動きがあったり、そんなことがあれば記事をアップするかもしれませんが。 (^^ゞ 風邪も治りつつあり、体調はよくなっていますが、しばらく忙しいため、陶片の整理と両立できそうもないのです。m(_)m

写真は9月の似島の海岸風景です。

 いつも拾いに行く長浜海岸以外にも、似島には陶片の多い場所はけっこうあります。ここは似島港のすぐ近く。狭いけれども陶片だらけです。残念ながら拾いたいものはありませんでしたが・・・
 石の間に陶片がいっぱい詰まっていました。中には欲しいものもありましたが取れませんでした。
 左はロート目薬です。スポイドを収める部分のある小瓶タイプよりは新しいものですが、コルク栓になっていますから、そこそこ古いのではと思います。昭和戦前くらい?右側は味の素の瓶です。これも昭和戦前くらいでしょうか。
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鞆の埋立架橋問題で、埋立に反対する鞆の人達が埋立免許の交付差し止めを求めた裁判で、工事差し止めの判決が出ました。今日は仕事中もニュースが気になって、気になって。良かった、良かった、良かった。ばんざ~い!!まだ県は諦めてはいないようですが、どうやら私も末永く陶片を拾えそうです。
 埋立予定地の干潟から拾ったコレクションを代表して、中国青磁と、ガラス製石蹴りと、石製沈子が四半世紀の長い間、反対運動を続けてこられた方々に感謝のご挨拶。「ぽ~にょ、ぽにょ、ぽにょ~♪」と歌も歌っております。
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# by touhen03 | 2009-10-01 23:40 | | Comments(13)
 あきらかに近代モノですが、窯で重ね焼きした時の小さな丸い傷跡、目跡があります。右側の銅版転写皿は高台や裏の感じなども砥部産によくあるタイプです。砥部では他の大産地が既にこの方法で量産しなくなった大正時代以降も目跡や蛇の目釉剥ぎのある食器を作っていました。
 こちらは昭和のゴム印皿ですが、五弁花があります。昭和のある時期、レトロ趣味といいますか、復古調の模様が流行したようで、近代になって姿を消していた五弁花もゴム印皿ではときどき見かけます。

今回の似島では、こんな地味ですがおもしろいモノも出ました。
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 昔の食器には龍がたくさん描かれています。→「龍の破片」 なかでもゴム印の龍の飯茶碗、これは絵の構図から、内側の縁模様にいたるまで、同じデザインのものがゾロゾロ見つかります。高台内に統制番号や、東陽軒平八製の銘が入ったものもありますが、今回拾ったものにはどうやらなさそうです。こんなに海岸や川から出てくるのですから、昭和戦前、よほど普及したデザインだったに違いありません。
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 このデザインを覚えておられますでしょうか。鞆や江田島で以前拾った人面ライオン碗です。なんと似島でも出ました。これで3つ目です。別の場所で同じものが3回も見つかるなんて、これはきっとよく売れた柄だったのかもしれません。たぶん昭和のある時期、人面ライオンが多くの家庭に棲んでいたなんておもしろいと思いませんか。人面ライオン碗、見つけたら教えてくださいね。ひょっとして人面ライオンの皿とか、丼とか、湯呑なんてないのでしょうか。
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 神社のカワラケを少し大きくした程度の薄手の小皿です。表面にポツポツとウニの殻を思わせるような穴があります。写真には微かにしか写っていませんが、裏にもポツポツがあります。これ、たぶんデザインではなく窯での失敗ではないでしょうか。もしかしたら、ウニが化けたのかもしれません。あるいは陶片がウニ化したのか。広島の干潟にはオカメブンブクの殻をよく見かけます。似島のこの海岸にも多いので、彼らと陶片が交流を深めることも十分に有り得るのではと私は思います。
 湯呑サイズの国民食器ですが、見込みに「ち」の文字が見えます。ゴム印か銅版転写か・・・銅版転写っぽいかな。ちょっと迷います。高台は半分近く残っていますが、統制番号は無いようです。国民食器に文字や模様が入っているもの、りちょうけんさんのブログではおなじみですが、実はなかなか拾えないレアものです。「ち」のあと、何が書いてあったのか気になるところです。
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 よく摩滅していますが、高台の感じから・・・もしかして17世紀頃の、かなり古い唐津でしょうか。表には目跡っぽいものもありますが、それならこれくらい残っていたら、もう一つくらいあってもいいのに。ちょっとドキドキするものを拾ってしまいました。
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