大日本国防婦人会宛の葉書

e0060485_92112.jpg

e0060485_963547.jpg

 これは最近入手した、昭和15年の国防婦人会宛の葉書です。召集された兵隊たちは、故郷の駅や港、或は通過地点の駅などで国防婦人会の世話になりました。国防婦人会は、全国に分会を作って、その地域の分会を単位に活動していたようで、この葉書の頃には日本中、どんな田舎の村にも組織があったようです。この葉書は山口県都濃郡大津嶋村(現在は周南市)の分会宛てに出されていますから、おそらく村出身の兵士が出した礼状と思われます。餞別を貰い、盛大に歓送してもらったとありますが、これが国防婦人会の最も大きな活動内容の一つだったようです。これは印刷していますから、たぶん在郷軍人会や、その他、集まってくれた人達にも送ったのでしょう。

昭和9年(1934年)の室戸台風の時など、国防婦人会は大量の炊き出し、布団を集めるなど、災害時にも大活躍したようです。戦前、これほど大きな組織となった婦人団体は他になく、陸軍の後押しで巨大化し、他の市民運動的な婦人団体のように婦人参政権要求など、権利運動などはせず、戦時体制に適応した、銃後を支える団体でした。出征兵士を見送り、傷痍軍人や遺骨の出迎えをし、出征兵士の家族の世話をし、母として、子供を健やかに育てて、「その子を国の為に捧げる」を理念としていました。

それでも一部の知識階層は別として、田舎の家の台所から女性たちが出て、半日も家を空けて集まるなどということはかつてなく、軍の思惑とは別の社会実験ともなったようです。この点は当時の軍がかなり恐れたらしく、家事をないがしろにしてはいけないと、実にまあ、細かく、うるさく、繰り返し、この忠実な団体に言っています。私が手に入れた「大日本國防婦人會員必携」の軍人による講演記録でも、ここに集まることで、ご主人の夕食がないがしろになってはいけないとか、小心で細かいこと。子どもが泣くのを聞くのが私は嫌いだとか、野外演習の兵隊に煙草に火をつけて手渡す気遣いがどうとか、いちいち、うっとうしい・・・いや、もう。歴史上のある時代に近づき、その時代の印刷物にどっぷり浸かってみるというのは、発見も多いけれど疲れるものです。しかし、この疲れを取り除いたら、やはり何か大事なものが抜け落ちていくように思います。



「平城宮跡を守る会」http://narapress.jp/hjk/
[PR]
by touhen03 | 2014-03-12 22:25