瀬戸田町御寺の陶片 その7

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 御寺(みてら)の陶片はこれで終わりです。なのでごった煮です。上段左端は産地は私には判りません。一応江戸時代かなと思うのですが、撮影を忘れていて、慌てて一緒に撮りました。上段右端は鮮やかな合成染料の手描き碗。明治と言いたくなるところですが、どっこい、内側に蛇の目釉剥ぎがあります。窯詰時に重ね焼きするため、器どうしが溶着しないようドーナツ状に釉を剥いだ痕です。本来は江戸時代の技法ですが、たぶん砥部です。それも大正時代以降のもの。東南アジアなどに「伊予ボール」として輸出が盛んだった時代、コストを下げるため、むしろ復活しているのです。上段中央の菊花型押し皿、これは江戸時代のものもあるようですけど、近代になっても作られてます。そして、これ砥部でもけっこう焼かれています。でもそれ以上は私には判りません。

 中段左端は統制番号「岐958」入り。現在の土岐市駄知町、丼で知られた町で作られた小皿です。その隣の霊芝文、これも海岸陶片の常連です。近代のある時期流行ったようです。その右隣、これには古い窯詰技法の目跡がありますが、もちろん近代の皿です。これも砥部産だろうと思います。右端は明治の手描き。江戸後期、清の焼き物の影響で線描きタイプの染付が流行りましたが、それをそのまま合成染料で描いています。幕末~明治の激動の時代を生き抜いたデザインのようです。

 下段左端、大きさが微妙です。豆皿にしても小さ過ぎる気がします。もしかしたらままごと道具の笊?ただ戦前のままごと道具はほんとうに小さいものが多いですからね。ままごと道具としてはやや大きめか。ままごと道具だったらうれしいんですけどね。その隣はゴム印の湯呑。量産食器の主流は型紙摺りから銅版転写、そして昭和になるとゴム印へと変化していきます。ゴム印タイプは時代が新しいため、どこの海岸でも川でも大量に出てきますが、御寺の干潟ではあまり出ませんでした。ある程度以上の大きさの破片だけ見るなら、型紙摺りの方がたくさんあったのです。ゴム印の右隣は今回も出てきた緑の縦縞タイプ。たまに統制番号入りのものもありますから、昭和戦前と思っています。右端は昭和戦前に多い、吹き墨タイプの飯茶碗。富士山柄は人気があったようです。

 今回、尾道市瀬戸田町御寺(みてら)の干潟で拾ったのは陶片76個とガラス製石蹴り1個でした。17世紀の染付や唐津など、特に古いものは出ませんでしたが、そのかわり江戸中期~明治の陶片が目立ちました。大正~昭和の陶片も一通りありましたが、こちらはやや少なめでした。それでも「伊予ボール」時代の砥部産と判るもの、或は砥部産の可能性が高いものは今回も拾うことができました。




「平城宮跡を守る会」http://narapress.jp/hjk/
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by touhen03 | 2014-09-08 23:45 | 広島の島