2006年 08月 27日
鞆の陶片(8月20日)
丁寧に拾う気なら、狸徳利など保命酒壜はもっと持ち帰れたはずですが、今回はどこか体力が無く、粘りに欠けました。重たいものを拾いたがらない心理は微妙に影響したようです。それでも今回で鞆の海岸は4回目。代表的な海岸陶片がほとんど出揃いました。江戸時代では、くらわんか、陶胎染付、広東碗、幕末線描きタイプ、幕末瀬戸・美濃系、幕末~明治モノ、近代モノでは、志田窯製の富士山と帆掛け舟の皿(かつて江波皿と呼ばれていたタイプ)、染色体模様、染付型押し四方小皿、染付印刻小皿、菊花小皿、明治の手描きタイプ、たくさんの印判食器、釉剥ぎのある近代モノ、目跡のある銅版転写、蛇の目釉剥ぎのある銅版転写、ウイロー・パターン、昭和の盃、緑二重線、緑縦縞、統制番号入り、用途別では、食器の他、段重、水滴、壜、灯明具、おろし金、画材、便器、陶製人形、沈子など、あっという間に出てきました。後、紅皿と防衛食容器、陶製化粧品容器など、戦時中の代用品容器が出ていないくらいかしら。18世紀半ば以降の陶片のデパートですね、ここは。そのうえ、ごく僅かですが、広島では宮島くらいしか出ていない17世紀の青磁や染付、唐津の類いも出ています。今後、これらの18世紀半ば以前のモノ、つまり磁器食器普及以前のモノがどの程度出てくるかも気になるところです。それにしても、鞆の陶片の保存状態は決して良くありません。なぜなのでしょう。似島の陶片の保存状態が異常に良い理由とともに不思議です。