9月14日、鞆行き

ほぼ1ヶ月ぶりに鞆へ行ってきました。潮が悪く、干潟の条件も悪かったのですが、今回は驚くほど良いものに恵まれました。なかでもこれ!中国の青磁片です。宮島以外の広島の海岸では初めて出ました。色は褐色に近くて、青磁という言葉のイメージと違いそうですが、これも立派な青磁なんです。13~14世紀くらい???時代の正確なところは自信がないです。
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真ん中に吉という字が見えます。まわりに菊か蓮の花を思わせるような、ちょっと凝った模様もあります。
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高台は中国陶磁によくあるタイプで、干潟ではこちらの側を見せていました。見たとたん、胸がドキドキしました。岩をコーティングしたような、カチンとした質感、断面も独特の気泡あり。おおーっ!出た、出たあ~!中国の青磁だあ!やったー、きゃっほー!!青磁の部分をよく見ると、微かに縦に幾つか筋が見えます。断面の写真の、釉下の生地の部分を見てください。角張った部分があるでしょう。どうやら外側に蓮の花びらをモチーフにした蓮弁と呼ばれる模様があったようです。

今回、5回目の鞆行きで、ついに中国陶磁を拾うことができました。鎌倉の材木座、由比ガ浜あたりや、福岡の玄界灘周辺ではさほど珍しくない中国陶磁ですが、これを広島で拾うとなると話が違ってきます。今まで宮島で10個程度拾っているのみ、青磁は今回で4個目です。くらわんかタイプの飯茶碗や皿など、磁器や半磁器の器が庶民にまで広がった18世紀半ば以降のものなら、どんな田舎の海岸からでも、川からでも、土が保存されている限りは出てきますが、それよりも古いものや、舶来の輸入品となると、まるで見えない線でも引いてあるかのように出てこないんです。庶民の日用品ではなかったのですね。18世紀半ばの見えない線。これより古いものが出たのは、広島では今のところ、宮島、倉橋の鹿老渡(砂目跡のある唐津、かつて潮待ちの港でした)、八幡川(土器、須恵器、すり鉢)、そして鞆です。

鞆では1回目に17世紀の日本製の青磁皿を拾い、ここは何でも出るぞと思いました。古くからの港として栄え、保命酒の産地でもある鞆は、歴史的背景から見ても、古いものや高級品が出る理由は十分にありました。しかし2回目以降は、他の広島の海岸ではあまり出ていない、江戸後期~幕末頃のやや大きな皿の破片が見つかること、出てくるものの種類が多くて、18世紀半ば以降のありとあらゆるタイプの陶片が、驚くほど早く出揃ったことなど、ここがタダモノでない片鱗はありましたが、思ったほど古い時代のものは出ませんでした。干潟の一部に陶片が集中し、波打ち際よりも、満潮線や、それよりも上の波を被らないあたりの方が多いなど、海底からの漂着よりも、生活ゴミの堆積が中心と思わせる陶片の出方でしたが、歴史はあっても港湾施設の性格上、江戸時代から何度も改修されたり、埋め立てられたりしていますので、思ったより土の保存は良くないのかなと思ったりしていました。

しかし、やはり鞆からは出ました。船の焚場跡のある干潟の、埋立予定地となっている場所からです。月に1度やってくるだけの私が、ここに住んでいる方達に不便を忍べとは言いにくいです。住民の方達が、これからどんな選択をされるにせよ、できるだけ何度も通って、拾っておこうと思います。今回のものを含めて、鞆で拾った陶片は512個(陶製沈子を除く)になりました。中国陶磁、江戸陶片~昭和のものまで、ありとあらゆる時代の陶片です。鞆の人々が、どんなもので食事をし、暮らしてきたかの記録であり、おもに江戸後期以降の庶民の生活史です。四国の、合併して今は黒潮町となった旧大方町には、砂浜美術館というものがあります。建物はなく、美しい砂浜を美術館に見立て、そこにある自然や、漂着物を展示物とするユニークな考え方の美術館です。その考え方を借りれば、ここ鞆の干潟は、歴史民俗資料館のようです。

これから、何回かにわけて、今回の鞆行きの記事をアップしようと思います。
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by touhen03 | 2006-09-16 08:43 |