2007年 02月 20日
鞆の石ころ干潟
さて、鞆の干潟とはいったいどんな場所なのか。たったこれだけで正確なことがわかるとも思えませんが、宮島の陶片が集中する場所と比べても、ここは異様でした。なにしろ干潟を掘ったという感じがしないのです。確かにここは干潟で、私は陶片を拾うたびに手が泥だらけになります。しかし、掘ってみると、泥や砂ではなくて、ここは石や岩でできているのではないかと思えてくるほどなのです。私は30分もたたないうちに腕が痛くなり、ヘトヘトになって続けられなくなりました。
ここは私が今手に入れている資料を読む限り、江戸時代の干潟がそのまま残っている場所です。しかし、すぐ近くでは江戸時代から何度も埋立がされていて、その都度石垣などが作られています。もちろん古い石垣は壊されたことでしょう。その時の廃材は近くの干潟にでも捨てられたのでしょうか。それ以上に、近代になってから、家庭ゴミだけでなく、ありとあらゆる廃材の捨て場になっていたのかもしれません。保命酒の容器なども捨てられたという話は聞いています。干潟の隅には明治の年号入りの墓石まで転がっています。
ここから出る陶片には不思議な特徴がありました。中国陶磁などの特に古いものや、高級品、或いは生活必需品以外のものが大量に出てくる一方で、一つ一つの陶片が小さくて、保存状態が他の広島の海岸に比べて悪いのです。もしかしたら、ここの陶片は石で潰され、漬物のようになっているのでしょうか。
干潟の陶片は限られた時間で拾わなくてはならないため、なかなか効率の悪い実験?をする気になれません。地表に出ている陶片が気になって仕方がないのです。でも、やはり時には掘ってみることも大事だとしみじみ思いました。