京橋川と猿猴川の陶片

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 さて、今回の陶片です。あんなにどっさり陶片があったのに、拾ったのはこれだけでした。(写真はクリックすると幾らか大きくなります)京橋川の陶片も猿猴川の陶片も、乾いた泥でびっしり覆われている場合が多く、まるでセメントで塗り固めたように、こすったくらいでは落ちません。水際は泥が深いため洗って確かめることもできず、対策を考えていなかったのはうかつでした。統制番号モノなど、たぶんあったに違いないです。高台が欠け、縁だけで出てきた小片の場合も見落とした可能性が高いです。ほんとうに悔しい。

 ただし、数少ない拾いモノには嬉しいモノもけっこうありました。写真中央の水滴は、銅版転写です。これは保存状態も良くて嬉しかったです。花唐草の周りに雷門(ラーメン丼によくあるような模様)、側面は青海波(波をモチーフにした模様)です。でも、水滴のアップの写真を撮っていなかった!(>_<) その横は柳橋付近で拾った型紙摺り皿ですが、なかなか素敵な絵柄でしょう。上の波千鳥の銅版転写も気に入ってます。水滴の下の小さな蓋らしき陶片は19世紀~幕末頃の線描きタイプです。やはり江戸モノ出てきてくれました。その左隣も、これも19世紀の江戸モノだろうと思うのですけど、ちょっと気になる(すみません、説明になってないです。でもうまく説明できない)ので保留。裏の模様もいかにも江戸モノなんですけど。たぶん江戸だと思うけど・・・気になる場合は要注意という法則が一応ありますので、念のため保留です。その左隣はウイロー・パターンの洋皿です。

 水滴の左には昭和っぽい杯が2つ。水滴の上は近代五弁花です。近代の五弁花は昭和のゴム印タイプに多いので、これも昭和戦前くらいかも。手描きの近代五弁花は時代の幅がややあるかもしれません。江戸の五弁花は一度は陶磁器の模様から消えますが、どうも昭和になって復活します。この陶片だけは猿猴川で拾いました。そして、ああ・・・左端の古伊万里風の近代陶片。これは拾った時、表の模様が微かに見える程度で、裏は完全に泥コーティング状態でした。形などから、たぶん近代のレトロタイプだろうとは思いましたが、まあ、念のため持ち帰ってしまいました。洗ってみたら、やはりこのとおり。まあ、近代の古伊万里モドキのサンプルとして捨てずに取っておくことにしました。

 写真の一番右端、平たい陶片はタイルです。瀬戸で作られた本業敷瓦と呼ばれるもので、陶器質で裏がざらざら、一つのサイズが大きいのが、明治のモノの特徴のようです。いろいろなデザインがありますが、今回出た柄はよほど流通していたに違いないです。鞆や似島でも拾っています。タイルはときどき、拾いたくない~!と発作のように思うことがあります。一方で美しいデザインに思わず見とれることもあります。今回拾ったもののように、たくさん出てくるため、興味を持っているものもあります。とはいえ、また出たか・・・と、ちょっと思いましたけど、たくさん出るものは時代の破片ですから、拾うことにしています。

 京橋川も、猿猴川も陶片は山ほどありました。以前、もう少し下流で京橋川や元安川を見て歩いたことがありますが、泥が深くてダメなところが多かったのです。そして心のどこかでホッとしていました。何か出てきたら怖い・・・という思いがどうしてもあったのでしょう。原爆の時、たくさんの遺体が流れた川ですから。私は当時の話を聞いて育っています。しかし、一度現場で陶片の山に出会い、良いモノにも出会いますと、宝の山が頭に刷り込まれてしまいました。宮島も出なくなりましたし、似島はよほど潮のよく引く時期でないとダメだし、鞆は遠いので1日がかりです。半日でも、中途半端な潮でも大丈夫な市内の川は魅力があります。広島市内の大きな川はあまり河口に近づくより、幾らか上流の方がよく出ますねえ。ちょこちょこ拾いに行く気になりました。
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by touhen03 | 2008-05-24 07:52 | 広島市内の川