広島の砥部焼 海田市駅の文字入り

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 高台内に海田市駅の文字が書かれています。宮島で拾った、銅版転写で絵付けされた目跡付きの蓋です。当初は歪みのある高台や目跡があることから、銅版転写としては比較的早い時期のもの、少なくとも明治時代だろうと思いました。高台を海田市駅に見立てて線路が描かれており、一方の端に下関駅が書かれていることから、明治36年(1903年)呉線開通の記念品では?と思ったのですが、汽車土瓶に駅名が書かれていることを知り、これは駅弁の可能性が高いかなと思うようになっていました。ところがこれも砥部焼でした。
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 これは砥部の発掘陶片(下向井窯)です。ブログへの掲載許可を得ることができました。砥部焼伝統産業会館様、ありがとうございます。私が拾った蓋は目跡付きでしたが、こちらは蛇の目釉剥ぎがあります。また私の陶片では欠けている部分に、下関以外の駅名が入っていました。大失敗、メモをしていると思い込んでいたのですが、書いていないのです。神戸だったか???(不確かです)薄暗い屋内でヘタクソに撮ったので、写真からは確かめることができません。
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 こちらは愛山窯のものです。高台内の文字はやはり海田市駅のようです。これには目跡も蛇の目釉剥ぎもありませんでした。

 残念ながら、この容器の本体や経緯を知ることはできませんでした。しかし少なくとも2つの窯で作られていること、目跡付き、蛇の目釉剥ぎ、重ね焼きの痕無しと、いろいろなタイプがあることからも、限られた個数の記念品とは思えません。やはりこれは駅弁の蓋だったのではと思います。東南アジアへの輸出品を大量生産していた伊予ボール時代の砥部は、使い捨ての駅弁容器も作っていたのですね。ちなみに愛知県の豊田市民芸館が出している「変わりゆく旅の器たち 汽車土瓶」によると、砥部では戦後の昭和20年代後半~30年代前半に汽車土瓶が作られていたそうです。

次回は蛇の目釉剥ぎのあるタイプについてです。
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by touhen03 | 2008-06-19 23:51 | 陶片コレクション