砥部焼について

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 砥部焼といえば、おおらかで豊かな唐草模様など、手描きの染付を思い浮かべますので、このブログの、戦前の量産食器を追ったシリーズは少し異色かもしれません。しかし地味に思える歴史が、今の砥部焼の良さ、料理を美味しそうに見せてくれる食器、生活を楽しく豊かにする器作りを支えているような気がしました。

 近世や近代の日常食器について、本などで得る知識はどうしても、肥前地域や瀬戸、美濃地域中心でしたし、私がまず出かけたのも有田や瀬戸や多治見でした。市場の競争原理からも、近代の産地間には極端な技術の差は無いだろうという思い込みもあったような気がします。ところが戦前の砥部焼のように、海外輸出という別の土俵もあったのですね。これは驚きでした。

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 何をするにも、まずご飯を食べてから。どんな家でも、お茶碗と小皿だけは無くてはすまない。それほど生活に欠かせないモノでありながら、日常の食器は忘れられる存在です。割れたらポイと捨てられて、最後にたどり着くのが川や海岸でした。きっと東南アジアの川や海岸、マングローブの茂みやヤシの木陰にも、かつての伊予ボールの破片が静かに眠っているかもしれません。戦前、砥部で作られた粗製の量産食器は、この地球上の広い範囲に旅をしていたのです。地理的に近い広島には、そんな砥部の器が来ていました。

 その目で見てみると、私のコレクションには、砥部の発掘陶片や砥部川で拾ったものとそっくりな陶片が思った以上に混じっているようです。その中には、よく似た他産地のモノもあるかもしれません。広島では、砥部から職人を迎えて始まった小谷焼と言う小さな窯が明治30年代まで操業していましたので、その製品も混じっているはずです。ただ広島城の堀跡の発掘調査で出た幕末の器の一部が成分分析の結果、砥部焼の可能性が高いと判明しているそうです。幕末以降の広島の日常食器は、肥前や瀬戸、美濃地域の他に、砥部からの流入という大きな要素があったのではと思います。

 わすか3泊4日の旅行の報告です。これから、なんとか手に入れて読みたいと思っている資料もあります。頭の中も、コレクションも、もう少し整理してから、陶片窟の一部を書き直し、砥部焼についてのコーナーも作りたいと思っています。

 写真は1枚目が陶祖ケ丘、2枚目が砥部町陶芸創作館の、窯から出てきた古い陶片を使ったモニュメントの一部です。次回から、砥部の町で見つけた、陶製モニュメントや古い神社など、面白かったものを取り上げて、砥部シリーズをいったん終わろうと思います。
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by touhen03 | 2008-06-24 08:46 | その他