大正15年山陽本線列車事故の絵葉書 その2

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 大正15年、9月23日、午前3時30分頃に起きたという転覆事故。死者36人、重軽傷者39人も出た大惨事だったようです。(フリー百科事典Wikipediaに、この事故の項目があり、死者34人と出ていましたが、遭難者が運び込まれたお寺の資料や境内にある碑文では36人となっています)事故に先立つ9月11日にも集中豪雨により畑賀川の堤防が崩れ、周辺で多数の死者が出る大災害が起きていましたが、この23日にも再び集中豪雨があったそうです。お寺の本には、当時の中國新聞の記事の抜粋が載っていました。それによりますと刻々と増水する畑賀川が再び洪水を起こすことを恐れた地元の人が単身見回りに出ると、午前3時過ぎ、畑賀川の仮堤防は崩壊し、線路に沿って既に大きな池となり、さらに安芸中野駅の方向に向かって歩いていくと、線路堤防が3.6メートル流出していたそうです。危険を知らせる間もなく、その人の目の前で転覆事故は起きたそうです。今なら、とっくに列車は不通になっている状況ですよね。今のように便利な通信手段は無かったとはいえ、地元の人が川の決壊を恐れて夜中に見回るような状況だったのですから、今とは安全に対する感覚が違っていたのでしょうね。

 絵葉書には、事故後、たくさんの人が集まっている様子が写っています。大勢の人が救助に駆けつけたそうですが、この人の山はそれだけの人数ではなさそうな気がします。事故現場周辺は当時は田んぼの広がる農村で人口も多くは無かったはずですから、かなり遠くから人々が集まってきたのではないかと思います。母方の祖母は当時16才の乙女でしたが、安芸郡矢野町(現在の広島市安芸区矢野)から(たぶん)歩いて見に行ったようです。(姉妹か、友達か、何人かで行ったのかも?)もしかしたら、この写真の群集の後ろの方にいたのかもしれません。
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by touhen03 | 2008-09-24 08:53 | 骨董市・ガラクタ