列車転覆大惨事を偲ぶ歌

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 鉄道遭難者追弔塔には、犠牲になった36名の名前が刻まれています。後に「富士」と呼ばれるようになったこの特急列車は、下関から鉄道連絡船で釜山へ、そしてシベリア鉄道からヨーロッパへと繋がる国際的な列車だったそうです。いろいろな人が乗っていました。犠牲者の中には東京日本メソジスト教会の伝道局長もいました。2歳の赤ちゃんもいました。鹿児島市長と、5歳になる子息もいました。事故現場を見たという祖母は、生前、外国人も死んでいたと言っていましたが、碑の中にコハノブスキー、オイウヰンドラーセンという名前を見つけました。お寺の資料によると、オイウヰンドラーセンさんはノルウェー、オスロ市の人で、大阪市川口東洋捕鯨會社と書かれていましたので、きっと捕鯨に関係する仕事で日本に来ていたのでしょう。コハノブスキーさんの方は名前以外は不明のようです。コハノブスキーさんは故国の親族と連絡は取れたのでしょうか。ノルウェーや、或いはどこかの国で、この列車事故を家族の歴史として伝えている人達がいるかもしれないと思いました。

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 最後にお寺の資料に載っていた、「列車転覆大惨事を偲ぶ歌」を紹介します。作詞は秋月四郎、当時広島市の新天地などでバイオリン片手に歌われたそうです。

一、ああ大正は十五年、時は九月の二十三夜、
             山陽線は安芸中野、聞くも哀れな大惨事
二、知るや知らずや黒煙、特急列車は轟然と、
              数多の旅客を打ち乗せて、全速力で進行中
三、いかなる神の戯れか、にわかに豪雨が襲いきて、
              かの恐ろしき激流に、無残や列車は転覆し
四、狭き車内の負傷者は、阿鼻叫喚の修羅の声、
          親は子を呼び、子は親を、呼びつ呼ばれつ雨の夜の
五、救いを求むる哀れさに、中野の村の人々は、
               村長三戸松始めとし、救助の道を施せり
六、数多旅客のその中に、鹿児島市長上野氏は、
              一子篤と諸共に、無残な惨死をとげにけり
七、上り下りの汽車の笛、いとど哀れを告げにけり、
              三十余名の霊魂は、中野の村雨とこしえに
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by touhen03 | 2008-09-27 00:12 | 骨董市・ガラクタ