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市振海岸のヒスイ

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 波が激しく打ち寄せた後の、快い小石の動く音。ヒスイを洗う音。ザー、シャラシャラシャラ・・・

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 そして、ついに私も拾いました!現場の写真はありません。そんなもん、頭からきれいサッパリ抜けてました。隣のネズミが齧ったらしいオニグルミは、翌日、別の海岸で拾ったものです。大きさの比較に置いてみました。

 市振海岸の東の端、小砂利が波打際に積もっているあたりで、澄んだきれいな緑色!思わず掴んで、砂利に足を取られながら駆け上がりましたが、寄せてきた波に追いつかれ、膝まであるゴム長靴の上まで濡れてしまいました。遥か遠くにいるEさんに向かって、思わずガッツポーズ!

実は、明らかに澄んだきれいな緑色をしているからと言って、ヒスイとは限らないのだそうです。私はEさんに、ヒスイではない美しい緑の石も見せてもらっていました。たぶん大丈夫だろうとのことでしたが、翌日、長年ヒスイの加工、販売や鑑定をしている方にも見てもらいました。

そして、これ、嬉しいことにヒスイだそうです。ヤッター!
この日7時間程度歩いてました。そういえば2006年に見つけた時も7時間歩いた頃に拾いましたっけ。それくらい歩くと、素人でも運がよければ拾えるのかな?
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by touhen03 | 2015-11-01 10:11

黒瀬川の陶片 その4

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 最後に黒瀬川から出てきた江戸陶片です。黒瀬川は陶片の多い川でしたが、時代は比較的新しいものが多く、はっきり江戸時代と判るものは少なくて、出てきたものも18~19世紀の小さな破片や高台部分だけでした。 
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by touhen03 | 2015-05-04 23:55

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 広島市安芸区に残る、西国街道の出迎えの松。6本残っていたうちの1本が7月31日夜に倒れました。この写真は去年10月に写した、かつての姿です。道幅の割にけっこう車の多い場所。排気ガスの影響もあるのでしょうか、植えても植えても枯れる松の苗を、それでも植え続けてかつての松並木を再現しようとしています。松並木の一部は下が歩道になっています。たぶん松を守るためなのでしょうか、歩道は舗装されていません。

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 当然雑草も育ちますし、雨が降ると歩道は水溜りと化し、通勤時、私はここのために短いゴム長靴を履きます。でも、晴れた日も曇りの日も、そして雨の日もここは違った顔を見せてくれます。松の木と土の道、たったそれだけで、風景に表情が出てきます。

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 花も咲かない、紅葉もしない、松以外、何か変わった風景があるわけでもない。それでも足元の草は小さな花をつけ、実をつけ、人間の管理の中で常に変化します。雨の後、芝草の上にワラワラと生える小さな茸、突然現れるシイタケくらいの大きさの茸、松の切り株に生えてくるもの、茸は何種類もここで見ました。いつの間にか数が減った雀もここでは群れで見ます。ハクセキレイやセグロセキレイは雀より近寄らせてくれるので珍しくはないですが見かけるとうれしい。川のそばなので時々松にシラサギがとまっています。ここは楽しい場所です。

 通勤途中になんとなく撮りためた写真が未整理のままけっこうあるのに気がつきました。昔撮った小さな苗が今では若い松になりました。しかし、冷静に考えると道路の歩道に生える草と松の木。大名行列を見たといっても、その松が何か変わっているわけではなし。半分は私の妄想。そのうち、「西国街道出迎えの松」の専用ブログを作って写真を成仏させるかな・・・と考えています。



「平城宮跡を守る会」http://narapress.jp/hjk/
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by touhen03 | 2014-08-05 07:32

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 かつて西国街道に沿って植えられた名残りの老松は解体されて、トラックに乗せられました。ほんとうは少しだけ輪切りにしたのを私も欲しかったけど・・・言えません。

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 そのかわり、老松の太い幹を切った後に残った木屑を一掴み、ハンカチに包んで持ち帰りました。良い匂いがします。250年の香りです。乾かして美しいガラスの小瓶に入れようと思っています。子供の頃から馴染んだ、身近な文化遺産。「あれは大名行列を見たことがあるんだよ」と聞かされた老木が目の前で一生を閉じました。これから残った幹には、茸が生えたりしていくことでしょう。それも見守るつもりです。



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by touhen03 | 2014-08-01 22:36

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 雨の中、撤去作業が進んでいきます。切断された幹から漂う良い香りが、雨の一粒一粒に混じって、作業をする人、見守る私達のうえに降りそそぎます。

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 吊り下げられた幹。なんだか馬に似ていた。老松の魂が空へ駆けて行ったのか。

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by touhen03 | 2014-08-01 22:06

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 突然、超ローカルな話題です。m(__)m 広島市安芸区、旧西国街道にある老松が突然幹が裂けるように折れました。通勤途中に通る場所。昨日はなんともなかったのに、今日の早朝には折れた無残な姿になっていました。夕方駆けつけてみましたら、既にクレーンで撤去作業がはじまっていました。

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 これは朝、携帯で写した写真です。子供の頃から親しんできた松並木。大部分は後に新たに植えられたものですが、江戸時代からの老松も残っています。その一つが突然倒れました。夕方のローカルニュースでは樹齢250年と言っていました。近くに住む人の話だと、昨日の夜8時頃、大きな音がして倒れたそうです。かつて大名行列がこの松の傍を通り、参勤交代で国元に帰ってくるお殿様を家来が迎えに来たのもここでした。出迎えの松とも呼ばれてきました。




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by touhen03 | 2014-08-01 21:17

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 これは最近入手した、昭和15年の国防婦人会宛の葉書です。召集された兵隊たちは、故郷の駅や港、或は通過地点の駅などで国防婦人会の世話になりました。国防婦人会は、全国に分会を作って、その地域の分会を単位に活動していたようで、この葉書の頃には日本中、どんな田舎の村にも組織があったようです。この葉書は山口県都濃郡大津嶋村(現在は周南市)の分会宛てに出されていますから、おそらく村出身の兵士が出した礼状と思われます。餞別を貰い、盛大に歓送してもらったとありますが、これが国防婦人会の最も大きな活動内容の一つだったようです。これは印刷していますから、たぶん在郷軍人会や、その他、集まってくれた人達にも送ったのでしょう。

昭和9年(1934年)の室戸台風の時など、国防婦人会は大量の炊き出し、布団を集めるなど、災害時にも大活躍したようです。戦前、これほど大きな組織となった婦人団体は他になく、陸軍の後押しで巨大化し、他の市民運動的な婦人団体のように婦人参政権要求など、権利運動などはせず、戦時体制に適応した、銃後を支える団体でした。出征兵士を見送り、傷痍軍人や遺骨の出迎えをし、出征兵士の家族の世話をし、母として、子供を健やかに育てて、「その子を国の為に捧げる」を理念としていました。

それでも一部の知識階層は別として、田舎の家の台所から女性たちが出て、半日も家を空けて集まるなどということはかつてなく、軍の思惑とは別の社会実験ともなったようです。この点は当時の軍がかなり恐れたらしく、家事をないがしろにしてはいけないと、実にまあ、細かく、うるさく、繰り返し、この忠実な団体に言っています。私が手に入れた「大日本國防婦人會員必携」の軍人による講演記録でも、ここに集まることで、ご主人の夕食がないがしろになってはいけないとか、小心で細かいこと。子どもが泣くのを聞くのが私は嫌いだとか、野外演習の兵隊に煙草に火をつけて手渡す気遣いがどうとか、いちいち、うっとうしい・・・いや、もう。歴史上のある時代に近づき、その時代の印刷物にどっぷり浸かってみるというのは、発見も多いけれど疲れるものです。しかし、この疲れを取り除いたら、やはり何か大事なものが抜け落ちていくように思います。



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by touhen03 | 2014-03-12 22:25

 私の世界は手の中の陶片から広がっていて、そこから想像力(妄想?)も湧いてくるわけで、その感覚からすると、たとえ日本史の中心であっても、遠くの大遺跡よりも、近くの鞆、近くの宮島、或は近くの小さな海岸、身近な川なのです。なにしろ足で歩いて、触って、陶片を拾っていますからね。

 そんなわけで、私は奈良の平城宮跡についてあまり知らない。平城宮跡は私の手で触っていないので仕方がないのです。しかし、これ※1は酷いのではないかと思う。今は一面の広い草地となっている平城宮跡中心部、朝堂院跡をアスファルトではないようですが舗装するそうです。ろくに話し合いもしていないし、未調査の遺物もあるのに地下水への調査もしていないらしい。写真を見ると近くに駐車場ができています。舗装されれば遺跡の中心部に楽に歩いていけるらしい。往時の広がりを体感できると言っているようですが、これは観光資源としての側面を優先したためではないでしょうか。遺跡の保存はお金がかかると思います。便利でなければ観光客は増えないのかもしれません。しかし、遺跡とテーマパークを混同することがあってはいけないです。変なことをするくらいなら、今では何もない草原を風が吹き抜けていた方がいい。奈良の大宮人の世界にひたるのに草原は悪くないでしょうにね。ただ、個人のブログとはいえ、記事を書くには私は知らないことが多すぎるので、ぜひネットで検索してみてください。たくさん記事が出ています。

 即時中止を求める運動も始まり、署名も集めています。※211月10日には埋立てが始まるそうです。日本史の大舞台であるとともに、近くの人達にとっては、懐に夢をいっぱい抱いた草地へのいとおしさは格別ではないかと思います。大切に思う場所が大きな力で否応もなく変えられていくのは辛いものです。もう知っておられる方も多いかと思いますが、差し迫っているようですので、少しでも多くの人に伝えた方が良いと思い、こんな小さなブログですが、書いてみました。

 開発とは巧妙なものです。まるで遺跡を大切にしているようにさえ思えることがあります。中止された鞆の架橋計画の中で、橋から鞆の風景を眺めたらよいではないかというのがありました。実にもっともらしいのですが、私は川を歩いて知っています。どんなに美しい立派な橋も、橋の下は薄暗くて、橋脚の周りは汚いのです。あの計画には橋の下からの視点が欠けていました。遺跡を大切にするとはなかなか難しいことだと思います。

今回は写真無しの記事になりましたが、予定だったものを差し替えて、急きょアップしました。

※1 「ニュース奈良の声」http://www.ac.auone-net.jp/~nara-koe/
※2 
「世界遺産 平城宮跡<埋立て・舗装工事>の即時中止を!平城宮跡を守る会」http://narapress.jp/hjk/

追記

 私にも愛着のある遺跡が幾つかあります。中には地元の人以外あまり知られていそうもない小さな遺跡もあって、毎日の通勤の楽しみとなっています。今回、慌ててネットで検索して、朝堂院跡地に揺れる草花の姿が胸にこたえました。これほどの遺跡となれば、たくさんの人の心と繋がっていることでしょう。そのあたりも軽視しないでほしいものです。「有識者?」だけで早急に決めないでほしいと思います。まずは工事をストップして話しあうべきです。

追記2

 鞆が架橋問題で揺れていた頃、訪れた人達が、雁木と常夜灯の、一見地味な風景をどう思うだろうと気になって、つい他の観光客の話に耳をそばだててしまったことがありました。平城宮跡の遺跡が地味なはずはないのですが、一面の草原を写真で見た時に、鞆の雁木が頭に浮かびました。ひょっとして何もないように見えることがあるかもしれませんが、遺跡や古い町並みには、幻という稀少生物も棲息しています。石や建物や地面や空気のなかに棲む華やかな生き物です。あの草地はおそらく幻の棲息地です。丁寧に扱ってほしいものです。大新聞さん、テレビさん、報道してください。お願いします。
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by touhen03 | 2012-10-15 08:32

拾われた陶片について、お問い合わせのメールをくださったS様。実は最初の写真を開いた後、なぜかメールごと消えてしまいました。どこのフォルダを探しても無いのです。そんなわけでご連絡できないでいます。誠に申し訳ありませんが、もう一度写真とともに送って頂けないでしょうか。m(__)m
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by touhen03 | 2012-09-23 23:22

陶片窟日記再スタート!

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 ずいぶん長く休んでしまいました。m(__)m 一時はパソコンに触れる習慣さえ消えかけていました。陶片は拾いに行っていましたが、採集場所を書いた紙を入れた未整理の箱が増えていき、写真と照らし合わせないと正体が判らないものまで出る始末。少しずつ箱を開けては整理をし、ようやくブログも再開する気になりました。

 写真は、このブログに来て下さっていた方にはおなじみの防衛食容器。戦時中の陶製缶詰容器で、金属の不足を補うための代用品です。陶片を拾い始めた頃に出あって強い衝撃を受けて以来、広島中の海岸や川から拾ってきました。腐らず、劣化しにくい陶片は時代の化石のようなものです。江戸時代や明治、大正の陶片を探しながら、圧倒的な量の昭和の陶片に出会い、しだいに興味を持つようになりました。戦後の出版物や映像の洪水の中で育ち、平和教育で山ほど習ったはずの時代でしたが、当時のモノが語る世界があります。

 昭和の陶片は長く拾っていくためにもありがたい存在です。どんなに良い干潟でも、何回も拾っていると陶片は出にくくなります。宮島は以前は一度にスーパーの大きな袋いっぱい拾えたものでしたが、私が拾い始めて十数年で殆ど出なくなりました。鞆の浦も、似島も以前ほど出ませんし、たとえ一度に数十個拾えたような良い陶片海岸でも、たいていの場所は3回通うと陶片の数が激減します。そして、それよりもっと多くの場所で、陶片はもともと一度に数個程度しか拾えません。そんな場所でもキラリと光るのが大量にある昭和の陶片なのです。

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 これはすべて戦前の軍事郵便絵葉書です。200枚以上持っています。海岸や川から戦時中の陶片を拾っているうちに、骨董市でもその時代のものが気になるようになりました。昭和のモノは骨董市にたくさん出ていますし、比較的安く手に入ります。軍事郵便絵葉書の場合、ほとんどが1枚数十円~200円程度でした。従軍画家などにより描かれたこれらの絵は、戦後あまり目に触れることはありませんでしたが、厳しい統制下で描かれていても、またその故に、いろいろな情報を私に伝えてきます。今日は一日中、中国の反日デモのニュースをやっていました。私は軍事郵便絵葉書の絵を見ながら、中国の人々の心の根っこにある感情についていろいろ考えていました。

 長い上に、まとまりのない記事になりましたが、そのままアップすることにしました。これから無理をせず、ぼつぼつ更新するつもりです。よろしかったら、時々覗いてみてくださいませ。
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by touhen03 | 2012-09-16 23:15