カテゴリ:陶片コレクション( 64 )

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 今回、近代五弁花と呼んでいるものから代表して3つ、持って行きました。砥部ではこのタイプも作っていたそうです。他の産地のことが不明なため、近代五弁花全体については判りませんけど、近代五弁花の中にも砥部の焼き物はあるようです。
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by touhen03 | 2008-06-21 07:55 | 陶片コレクション

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 広島で拾った蛇の目釉剥ぎのある小皿の中には、ちょっと違った雰囲気のあるグループがありました。上段左は昭和の小丼にでもありそうな感じですが、釉剥ぎがあり、高台内には型紙摺りの茶碗によくあるようなシワがあります。下段左は裏側だけ見ると統制番号でも付いていそうな感じです。こんなので岐〇〇なんてのがありましたっけ。でも蛇の目釉剥ぎがあります。右側の2つも、器の質感など釉剥ぎがなければ昭和のモノにもありそうだなと思っていました。これらもみんな、砥部の可能性が高いそうです。下段左の小皿は、釉薬の溶け方が良くないのだそうです。本来は下段右のようになるはずのものなのだそうです。そういえば、こんな感じのものは砥部に限らず、統制番号モノに時々ありますね。
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by touhen03 | 2008-06-21 07:45 | 陶片コレクション

 今度は蛇の目釉剥ぎのあるもので、今回、砥部焼の可能性が高いと判ったものをご紹介します。
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 型紙摺りで蛇の目釉剥ぎのあるタイプです。本来、型紙摺りは明治時代に盛んで、その後しだいに銅版転写に代わったと私は頭に入れていました。ところが、砥部では大正時代になっても型紙摺りは盛んだったようです。そして、一番驚いたのが、これまで紹介した目跡付きのものよりも、蛇の目釉剥ぎの方がより新しい場合があることです。砥部では明治末以降の海外輸出時代になって、蛇の目釉剥ぎが復活しているのです。コストが原因だそうです。
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 蛇の目釉剥ぎの上に、この足付きハマを載せ、その上に別の器を乗せて窯で焼きました。その方が、釉の掛かった表面から窯道具を剥がすより、窯で溶着してしまう率が少なかったのでしょうね。
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 こちらは手描きの小皿です。見せて頂いた上原窯、深田窯、陶祖下窯などの発掘陶片の中に、これらとそっくりなものが幾つもありました。また、今回持っていかなかった、蛇の目釉剥ぎの白磁小皿と瓜二つのものが、深田窯、弘法師窯などにたくさん出ていました。みんな、幾らか共通の雰囲気を持っています。白磁、色の帯を一部に掛けたもの、簡単な手描きの絵付けなど、非常にシンプルなデザインが多いようです。裏側は、表面にロクロ?の跡がそのまま残ったり、ややでこぼこがある場合も多い。高台は少し歪んでいることが多いです。この裏側の特徴は、型紙摺りの小皿も、目跡付きの銅版転写小皿にも共通しています。
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by touhen03 | 2008-06-21 07:26 | 陶片コレクション

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 高台内に海田市駅の文字が書かれています。宮島で拾った、銅版転写で絵付けされた目跡付きの蓋です。当初は歪みのある高台や目跡があることから、銅版転写としては比較的早い時期のもの、少なくとも明治時代だろうと思いました。高台を海田市駅に見立てて線路が描かれており、一方の端に下関駅が書かれていることから、明治36年(1903年)呉線開通の記念品では?と思ったのですが、汽車土瓶に駅名が書かれていることを知り、これは駅弁の可能性が高いかなと思うようになっていました。ところがこれも砥部焼でした。
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 これは砥部の発掘陶片(下向井窯)です。ブログへの掲載許可を得ることができました。砥部焼伝統産業会館様、ありがとうございます。私が拾った蓋は目跡付きでしたが、こちらは蛇の目釉剥ぎがあります。また私の陶片では欠けている部分に、下関以外の駅名が入っていました。大失敗、メモをしていると思い込んでいたのですが、書いていないのです。神戸だったか???(不確かです)薄暗い屋内でヘタクソに撮ったので、写真からは確かめることができません。
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 こちらは愛山窯のものです。高台内の文字はやはり海田市駅のようです。これには目跡も蛇の目釉剥ぎもありませんでした。

 残念ながら、この容器の本体や経緯を知ることはできませんでした。しかし少なくとも2つの窯で作られていること、目跡付き、蛇の目釉剥ぎ、重ね焼きの痕無しと、いろいろなタイプがあることからも、限られた個数の記念品とは思えません。やはりこれは駅弁の蓋だったのではと思います。東南アジアへの輸出品を大量生産していた伊予ボール時代の砥部は、使い捨ての駅弁容器も作っていたのですね。ちなみに愛知県の豊田市民芸館が出している「変わりゆく旅の器たち 汽車土瓶」によると、砥部では戦後の昭和20年代後半~30年代前半に汽車土瓶が作られていたそうです。

次回は蛇の目釉剥ぎのあるタイプについてです。
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by touhen03 | 2008-06-19 23:51 | 陶片コレクション

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 これらも今回、砥部の可能性が高いと判りました。右側の大きな破片とウサギ柄の上の陶片は目跡があります。ウサギ柄の下の陶片は目跡は確認できませんが〇トっぽいマークがあります。ウサギ柄の2つはどちらも鞆で拾っていますが、細かい部分を比べてみると、それぞれ別の器だったようです。右側の小鳥と野の草の陶片は、この他に目跡の無いものや、小さな破片のため目跡の有無を確認できないものなど、同じデザインと思えるものを拾っています。ゴム印の目跡付き、初めて見つけた時は驚きましたけど、それが今回、砥部のものだと判りました。
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by touhen03 | 2008-06-19 22:12 | 陶片コレクション

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 これも今回、砥部焼の可能性が高いと判ったものです。上段右2つ、このタイプの小皿、時々出てきます。
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 上段左端の器には〇ト11のマークがあります。〇トの付いたこの陶片は砥部焼の可能性が高いのです。ただこれが窯印の類でなく統制番号かどうか・・・ということでしょうか。いかにも統制番号っぽいですけどね。この陶片と、下段中央の陶片の絵の感じ、筆の使い方とか似てますね。ちなみに下段中央の陶片の裏にある記号は墨書です。窯で焼かれたものではないです。墨は干潟で長い時間を過ごしても、ハイターに浸けても取れないんです。
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 磁器ではなく陶器皿にも砥部焼の可能性の高いものがありました。
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by touhen03 | 2008-06-18 00:46 | 陶片コレクション

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 これは呉線沿岸、今は東広島市になった安芸津町風早の海岸で拾ったものです。頭や鼻の脇のほくろのような位置に重ね焼きの痕があります。印刷もやや雑なこの小皿は明治末~昭和初期の伊予ボール時代のものだそうです。このデザイン、どうやら砥部焼に多いのかもしれません。見せて頂いた発掘陶片にも幾つかありました。
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 砥部町内、陶祖ケ丘のモニュメントにも埋め込まれていました。

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 似島で拾ったこの皿は、絵の銭が繊細で、裏の高台もあまり歪みがなく、全体にきれいです。こちらは同じ砥部焼でも、明治時代のモノだそうです。古いモノの方が丁寧に作られているのです。後の伊予ボール時代になると、雑に作られているため、素朴な感じがして、パッと見に古く見えます。
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by touhen03 | 2008-06-15 23:42 | 陶片コレクション

 私は骨董や、陶磁器の研究からではなく、ビーチコーミングから陶片収集に入っていきました。そのせいなのか、私の陶片への思いは、一般的?な陶磁器の価値観と少しずれがあるのかもしれません。美しさと希少性を別にすれば、私にとって中国青磁も、17世紀の古伊万里も、昭和の安物茶碗も、面白いという一点に関しては等価値なのです。

 海岸や川からは近代の安物食器が大量に出てきます。それらは陶磁器の本にも、骨董の雑誌にもあまり載ることはありません。庶民の生活を支えてきたのに、一段低いものとして、取るに足らないものとして、使い捨てられ、忘れられています。海岸や川はそれらの忘れられた日常食器たちの眠る場所です。人の手を離れた陶片は、本や個人の記憶によって整理されることなく、人の価値観を離れて、あるがままに存在しています。

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 広島で拾った陶片のなかには、古い量産技術で作られた近代の食器たちがあります。たとえば写真の銅版転写の小皿たちですが、表面に小さな重ね焼きの痕が付いています。(クリックするともう少し大きな画像になります。)※1 この痕、型紙摺りタイプの皿にはごく普通に見られますが、それより少し遅れて普及した銅版転写の皿にあるのは珍しいのです。とはいえ長い間拾っていると、ポツリ、ポツリと出てきます。今回、砥部焼伝統産業会館で見て頂きましたら、写真の陶片はすべて砥部焼の可能性が高いとのことでした。そして上段左端を除いて、明治末~昭和初期のものらしいです。プリントも雑で、高台は少しゆがんでいたりするため、銅版転写皿の中では古い時期のモノだろうかと考えたこともありましたが、決して初期の銅版転写ではなかったのです。この時期、砥部は「伊予ボール」と呼ばれた食器を東南アジアへ大量に輸出していました。全生産量の7割を輸出が占める時期もあったそうです。技術革新よりも、できるだけ安価に大量生産することが大事だったのです。そして、その一部が広島へ流れてきていたのですね。お皿としての現役時代、注意して見られることさえなかったかもしれない。無意識に日常のおかずを盛られ、手早く洗われ、重ねて水屋に仕舞われ、そのうち割れて捨てられた小皿たち。それでも広島の庶民の生活の一部をそっと支えていたのです。
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 白鳥の小皿なのですが、さすがこんなに酷い印刷なのは珍しいです。ただ今回砥部焼の可能性が高いと言われたタイプの特徴がよく出ているのでアップで取り上げてみました。印刷が粗雑な傾向があるのと、裏の高台もやや歪んだものが多いです。高台の形も、これが砥部独特のものかどうかはわかりませんが、銅版転写皿に一番多い形とは違います。裏側にロクロの痕のような筋が残っているものも多いです。

もう少し判ったことを整理してから、「陶片窟の引き出し」の中の、「近代陶片に残る古い量産技術」の記事も書き換えることになりそうです。(^^ゞ

※1 下段左から2つ目の陶片だけは裏側に痕があります。私はこれ一つだけしか拾っていません。また、下段右から2つ目のウサギ柄の皿は2つに分かれて出てきたため接着剤で補修してあります。
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by touhen03 | 2008-06-15 14:56 | 陶片コレクション

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以前、似島で「キリンレ」と文字のある陶片を拾いました。これについて又兵衛さんという方から素晴らしい情報を頂きました。戦前のキリンビールが出した俵型の灰皿だとのことでした。さっそく検索してみましたら、なんと今、似たものがオークションに出品されているではありませんか。それによると、片側にキリンビール、もう片側にキリンレモンの文字があります。ただ出品されたものは、ンモレンリキと右から左へ書かれています。

再度、興奮を鎮めて眺めますと、私が拾ったものと表面の感じがやや違いますね。これは似たタイプの灰皿が何度も作られたのかも。これはキリンビールさんに問い合わせたら判るかもしれませんね。
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by touhen03 | 2008-06-14 21:38 | 陶片コレクション

謎の蓋

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 今回も似島から出ました。行けば必ずこの蓋は拾えます。柔らかい器肌が海の生物にとっても心地が良いのか、たいていヤッコカンザシ?などの生物が付着しています。時には数種類の生物の宿となり、海藻までどっさり生えている場合も珍しくなく、長い間、できれば見なかったことにしたくなる陶片でした。しかし、無視しても蓋は出続けました。そのうえ似島以外からも出てくるのがわかりました。ついに私は根負けして?集めはじめました。

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 これは似島、宮島、鞆、天満川などで拾ったものですが、共通しているのは、どこか古瀬戸を連想させる同心円状の模様、明るい色の土と柔らかい器肌、中央に凹みのあるツマミがついていること、蓋の裏側の中央部分の釉が剥げているものが多いことです。また蓋の側には本体と合わせるための縁や突起などはありません。時代も江戸なのか近代なのか、これを見ただけでは私には判りませんが、似島でこんなにたくさん、それも大きな破片で出るところを見ると、近代のものではと想像しています。

 ただ不思議なのは、いまだにこの蓋の本体が判らないことです。少なくともアレでは?とピンとくる形で出てきていないのです。粉々になっているのでしょうか。それともこの蓋を連想することができない意外な姿をしているのでしょうか。これだけよく出る蓋なら、たとえ粉々でも、意外な姿でも、何だろうと思うほど繰り返し出てきてもよいはずなんです。

 ところが今年の3月、私の陶片を見に来られた方が、この蓋を見るなり「骨壷の蓋では?」と言われたのです。ただし、すぐに、よく判らないと、それ以上はっきりしたことはおっしゃいませんでした。この方は以前、瀬戸の窯跡の取材などもされていました。陶磁器について詳しくないと言われてはいましたが、いろいろな場所で取材をされてきた方の直感は一応気になります。非常にあやふやな情報ですが、なんらかの情報が集まるかも・・・とあえて書いてみました。そんなわけで、今ではこの蓋、あれば必ず拾うことに決めています。

※ beachcomberjpさんから、陸地のハケで見つけた同じタイプの陶片写真を見せていただきました。どうやら私も時々見かけた、縁が玉縁になった地味な破片が本体の可能性が高いようです。やはり骨壷の蓋ではなさそうです。でも、まさか・・・骨壷!?という思いがエネルギーとなり、地味なこの陶片の素性が一気にわかったのですから、見に来てくださった方にも感謝です。これから、その目で拾ったり、すでにコレクションしているものを整理しなおしたりして、またこのテーマで書ければと思っています。皆様ありがとうございました。
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by touhen03 | 2008-05-29 01:17 | 陶片コレクション