カテゴリ:陶片コレクション( 64 )

陶製おろし金

便乗モノ第3弾、陶製おろし金です。
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陶製おろし金は、戦時中の代用品としてだけでなく、明治のものもあるようですし、遡れば瀬戸の中世施釉陶器にまでたどり着きます。しかし、このタイプは昭和のものらしいです。すべて裏側まで釉が掛かっています。一つだけ瀬733の統制番号が確認できるものがありました。上、中央のものは、「時のかけら~統制陶器~」のものとよく似ています。福山市鞆、広島市西区の八幡川河口、江津市波子、鎌倉材木座・由比ガ浜などから出ています。
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陶製おろし金にはこんなのもあります。これもすべて昭和の代用品でしょうか?裏は薄く施釉されているものと無釉のものがあります。まるで中世の施釉陶器のように小皿の形をしたものもあります。もちろん時代は違いますけど。宮島、鞆、浜田市国府海岸、八幡川河口で拾っています。
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by touhen03 | 2006-10-10 22:54 | 陶片コレクション

東陽軒と名乗る器たち

これもrichouken04さんの「時のかけら~統制陶器~」で取り上げておられましたので、こちらでもアップしてみました。何しろ地味~なテーマですからね。こうやって皆で取り上げて少しでも華やかに?という手もありそうです。(^^ゞ
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さて、これが私の拾った東陽軒平八製か、それらしいモノです。似島、宮島、鞆で拾いました。これだけ見ても共通した特徴があります。伝統的な柄。ゴム印が多いが、模様そのものは比較的細かく丁寧。私の拾ったものはすべて染付。飯茶碗が多いという点です。「岐阜県陶磁資料館の収蔵品目録2004」に東陽軒平吉製というのが載っていて、これは銅版ですが、私が拾った、写真上左端と、その隣の雲龍文茶碗に似ています。大正~昭和に多治見市で作られたものだそうです。東陽軒~と名乗る窯は一つではなかったのでしょう。しかし東陽軒平八製と名乗る窯は一つだったのか・・・?東陽軒とは、そもそも何なのか?幾つもの???を抱えながら、集めています。

陶片を拾い始めた頃、なぜか宮島で東陽軒平八製がよく出ていました。大きな飯茶碗が転がっているのを見て期待に胸を膨らませ、近づいてみると東陽軒平八製。あーあ、とがっかりしていましたが、他の海岸でも出てきましたし、共通した特徴を持っているので、集める気になりました。でも、不思議なもので、あれほどよく出ていたと思うのに、関心を持ったとたんに、あまり出なくなってしまいました。
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by touhen03 | 2006-10-08 23:31 | 陶片コレクション

昭和の富士山たち

richouken04さんの「時のかけら~統制陶器~」で吹墨タイプの富士山柄食器を扱っておられましたので、私も便乗して取り上げてみました。
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似島、宮島、海田町を流れる瀬野川の河口、同じく海田町の畑賀川で拾ったものです。上中央の灰色の飯茶碗には統制番号が入っています。岐135です。高台が残っているものが少ないためか、統制番号が確認できるのはこれだけです。飯茶碗が多いですが、小皿や湯のみもあるようです。同じようなパターンの絵ですが、左端の灰色のものは、扇の中に富士山が描かれています。これらも以前は拾いませんでしたが、何度も海岸で見るうち、また骨董市で統制番号入り食器にも多い柄と知るにつれ、見つけたら拾うモノになりました。
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by touhen03 | 2006-10-08 22:30 | 陶片コレクション

近代の五弁花 その2

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手描きの近代の五弁花です。右下は頂き物で、それ以外は宮島と似島で拾いました。

写真右上に似たタイプを他にも拾っています。左下ともども、大雑把で、そのくせ派手な五弁花となっています。左下は裏に筆一本描きの唐草まであり、あきらかに江戸時代の伊万里の器の写しです。左上は、小さくて見えにくいですが、とても丁寧な五弁花です。右下のものは赤絵皿で、消えてしまっていますが、カエルの卵状の部分にも赤絵の跡があります。以前、似島で、あきらかに近代と判る五弁花の色絵皿を見たことがあります。当時は近代の五弁花に関心がなく、拾わなかったのが、今となっては惜しまれます。

写真の陶片は、はっきりと五弁花と判りますが、他に五弁花もどき、五弁花の影響かと思えるものを拾うこともあります。五弁花とは言えないが、無意識に血を受け継いだ・・・そんな感じのものも手描きにはまだまだありそうな気もします。ゴム印タイプと違い、細かい年代がわかりにくいのですが、明治の可能性の高い手描き五弁花、或いは型紙摺り、銅版転写の五弁花が、これから先見つかるかどうか、興味を持っています。

ちょっとこれは未来に向けての書き足しなのですが、最近のレトロブーム、骨董ブームの影響か、お洒落な和食器の店などに、五弁花の皿が売られているのを見たことがあります。五弁花の場合は今のところ、たくさん出ているわけではなさそうですが、蛸唐草など伊万里の器をかなり丁寧に写したものは多くて、ちょっと雑に模倣したものなら100ショップなどにもたくさん売られています。将来、昭和末~平成のレトロタイプとして区別する必要が出てきそうです。昭和初期~のゴム印タイプが、五弁花など伝統的なデザインを使いながら、そっくりに作る気はなかった?のに対して、昭和末~平成レトロタイプは、中には骨董市で混ぜて売っても、すぐにはバレないのではと思えるものさえあります。ただ、汚れがつきやすいと思える蛇の目釉剥ぎなど、現代人が嫌がりそうなものはなく、高台など目立たない部分に違いがあることが多く、多くの人がお洒落と感じるデザインに集中する傾向があるようです。不燃物の回収システムがあり、携帯用にはプラスチック容器が普及した今では、昔ほど使用済みの食器が海岸へ戻ってきにくくなっていると思いますが、それでも昭和末~平成レトロタイプのグループを作る必要がそのうち出てくるのではと思っています。
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by touhen03 | 2006-09-03 22:55 | 陶片コレクション

近代の五弁花 その1

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「この写真の陶片たちには、すべてゴム印で付けられた五弁花があります。「散歩三昧 陶片のページ」のmimi_daikonさんが、近代のゴム印タイプの五弁花拾っておられましたので、今回は近代の五弁花を取り上げてみました。

18世紀に大流行した五弁花の器たちですが、唐草模様などが連綿と時代を超えて描かれ続けたのに対して、五弁花はその後廃れ、近代以降は量産食器の世界でほとんど忘れられました。ところが、昭和になってどうやら再び小さな流行があったのではと思います。ゴム印で付けられた五弁花の器が海岸から時々出てくるのです。江戸の雑器の五弁花の多くが、潰れて元の形も判らないものが多いのに対して、ゴム印五弁花たちは、丁寧で美しい五弁の花を咲かせています。
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江戸の五弁花は手描きの他に、コンニャク判と呼ばれるスタンプが多かったのですが、近代になり、量産食器が型紙や銅版を使って絵付けをするようになると、この単純なデザインはもの足らなかったのでしょうか。そう考えれば、ゴム印による絵付けは、基本的にはコンニャク判に近いわけで、五弁花が復活したのも自然なことかもしれません。もしかしたら、大正末期からの、柳宗悦らの民芸運動なども、どこかで影響して、古いデザインが好まれるようになったのかもしれません。無数に作られた量産食器、どんな模様だってあっても不思議は無い。いちいち追いかけることなど無理では・・・と思えますが、不思議なことに、海岸から出てくる陶片たちには、ある程度の類型があるんです。どんなものを作っても良かったのに、一定のパターンがあることに人間は安心を感じるのでしょうか。ゴム印の五弁花を通して、おもしろいけれど果てしも無い、近代量産食器のジャングル?が垣間見えます。

ここではゴム印の五弁花を取り上げましたが、実は近代五弁花には手描きのものもあります。ゴム印タイプと違って、細かい年代がわかりにくく、中には江戸の五弁花と、昭和のゴム印五弁花の間を時代的に繋ぐものも混じっているかもしれません。またゴム印とは違う特徴もありますので、次回取り上げようと思います。
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by touhen03 | 2006-09-02 23:18 | 陶片コレクション

 動輪マークというのでしょうか。このマークのついた陶片を幾らか拾っています。写真上段はすべて似島で、下段は家のそばの川で拾いました。
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 上段左から2つ目の陶片の裏には國鐵購買とあります。継ぎ目は私が接着剤で繋いだ跡です。
 2003年に似島で拾いましたが、3年後に欠けた部分の一部が見つかりました。左端のものも、ちょうど割れた部分に、かすかに青い色が見えます。(まったく同じなら、文字の一部が残っていてもよさそうですが、小さめの文字だったのか、ずれていたのか、まったく違うモノだったのか?)2つとも容器の蓋のようです。 その右隣も同じタイプですが、これはカーブの具合から、蓋ではなさそうです。似島では、このタイプの小片をもう一つ拾っています。家のそばの川で拾った下段左の陶片も同じタイプの器のようですが、小さい割りにカーブが強く、茶碗の破片のように、片方が急に分厚くなっています。上段右端は緑二重線の国民食器で、廣鐵食堂と書かれています。小さめの丼のような形をした器だったのでしょうか。下段右の陶片だけは、動輪マークや文字がゴム印ですが、他は銅版転写のようです。

 これは後に駅弁の容器と判明しました。

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 家のそばの川で拾った陶片2つ。左は上の写真の陶片ですが・・・
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 裏を見てください。どうやら同じものです。もしかしたら廣鐵食堂でしょうか?食の字のバランスが悪いような気もしますけど・・・二つ一緒に出てくれなければ、動輪マークの方は廣の後の字が推定しにくかったですし、右の陶片は国鉄モノと気付かなかったでしょう。運が良かったと思います。
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by touhen03 | 2006-07-07 09:39 | 陶片コレクション

緑の縦じま陶片

海岸を歩くと、どこからでも出てくる陶片。それが緑の縦じまタイプです。新しい陶片、昭和のモノとして、私は長い間これを拾いませんでした。けれども、私が相手にしなくても、私が歩く先々で緑の縦じま陶片は、丼の大きなカケラだったり、数センチの小片だったりしながら、いつも目の前にありました。白地に緑の二重線が縁に描かれただけの緑二重線タイプの器は知っていましたが、これは海岸で知りました。「私は拾うべきものですよ」と陶片が言いました。
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手描きのものもあれば、ゴム印もあります。外側全体を緑の縦じまが覆っているものもあれば、おかっぱ頭?のもの、縁に短い斜め格子状のものもあります。
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内側はもっとバリエーションに富んでいます。緑の縦じまが内側にもあるタイプと、ないタイプがあります。緑二重線タイプのように、縁に緑の線が入ったものもあります。見込みに風景画や、福や寿のおめでたい字を描いたものも多いようです。
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緑の縦じまにゴム印の青い模様を組み合わせたものもよく見られます。緑の縦じまタイプに入れるべきかどうか迷うものもありますが、感覚的に「血を引いている」と思えるものは緑の縦じまタイプとして分類してみました。
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珍しくないから拾う。大量流通に驚いて拾う。小さなデザインの差がおもしろくてコレクションしたくなる。緑の縦じま陶片はおもしろいです。

「時のかけら~統制陶器~」の岐950の鉢瀬30の鉢で、このタイプの器について詳しく書いておられますし、「散歩三昧 陶片のページ」でも、このタイプの質の良い陶片を拾っておられます。私も、それに合わせて緑の縦じまを取り上げてみました。このタイプ陶片が、こんなに幾つものブログで同時に取り上げられるなんて、ちょっと面白いと思いませんか。
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by touhen03 | 2006-07-06 00:19 | 陶片コレクション

東洋平和

この前の宮島行きで拾った陶片の中に、見込みに東洋と書かれた銅版転写の小皿がありました。これ、実は以前に宮島で同じタイプのものを拾っています。それで東洋平和と書かれていたことが判ります。
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同じくらいの大きさのようですが、比べてみると縁の雷文っぽい模様の幅が違います。同時に捨てられた同じシリーズの皿というわけではなさそうな気がします。またどこか別の場所で出てくると面白いのですけど・・・みなさま、これを見つけたらぜひ教えてくださいね。銅版転写で模様が印刷されていますので、時代は明治~昭和戦前くらいです。平和って言葉からは、つい戦後を連想しますけど、この言葉、戦前だってもちろん使われています。下の絵葉書は、大正11年の平和紀念東京博覧会の平和の塔と、会場全体の様子です。
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平和教育、平和を守ろう・・・平和という言葉は社会の中で溢れ、珍しくないことでつい安心してしまいますけど、戦前だって平和の塔くらいあったのです。そういえば、平和のためにと言って人間は戦争をしてきましたよね。
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by touhen03 | 2006-05-21 11:04 | 陶片コレクション

P.の小瓶 その後

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以前一度取り上げたP.のマーク付の陶製の小瓶。たぶん戦前の化粧品容器という程度しか判りませんでした。ところが今回、「時のかけら~統制陶器~」のrichouken04さんから貴重な情報を頂きました。同じP.のマーク入りですが、陶器に描かれたのではなく、P.のマークのラベルが貼られた容器があったそうです。骨董業者さんを通じて探されたそうです。海岸で幾つも見つかっているP.の小瓶は本などから、同じ陶製の蓋が付いていることが判りましたが、こちらの蓋はベークライト製とのことでした。統制番号1103付きです。写真も見せて頂きましたが、そこにはPAPILIO CREMEと書かれていました。パピリオ・クリーム!御園白粉の伊東胡蝶園(後のパピリオ)のものでした。ネットでいろいろ検索してみました。伊東胡蝶園は昭和10年(1935年)にパピリオ白粉を出していて、容器のデザインは佐野繁次郎という人がしたようです。P.の容器とも書体がよく似ています。

その後richouken04さんから、今は廃刊になった骨董雑誌「骨董ファン」Vol.28にP.の小瓶が掲載されていると教えて頂きました。幸いバックナンバーを売っていましたので、さっそく取り寄せました。出てました!P.の小瓶には四角な陶製の外蓋とアルミ製の丸い内蓋があり、PAPILIO CREMEというロゴの入った黒い紙箱付きでした。雑誌の説明によると、パピリオ化粧品クリーム瓶、昭和30年頃のものだそうです。陶製の容器が身の回りから消えていく、その最後の時代のものだったのです。今回、P.の小瓶の正体を知ることができたのは、richouken04さんのおかげですし、また多くの方が海岸でP.の小瓶を拾ってくださったおかげです。ありがとうございます。「骨董屋の非賣品」の著者、勝見充男さん、勝見さんに問い合わせてくださった出版社の晶文社さんにも感謝です。小さな歴史が一つ掘り起こされました。

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私が拾ったP.の容器の底です。こちらは統制番号はありません。容器が写真に載るとき、底はまず写しませんので、アップしました。
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ところで、P.の小瓶とよく似た質感の陶製容器は海岸からよく出てきます。写真は私が宮島、江田島、八幡川などで拾ったり、何人もの方から頂いた、その手の容器です。P.の小瓶以外はレート化粧品のレートクレームらしいもの、いろいろな会社の出したポマード容器などです。資生堂は昭和6年(1931年)にポマードを出していて、「メヌマポマード」は昭和7年(1932年)に発売されたそうです。ということはそのあたり以後のものなのでしょうね。昭和戦前~昭和30年代頃までの小瓶たちなのでしょう。
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いろんな角度からの写真です。
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by touhen03 | 2006-05-16 01:05 | 陶片コレクション

陶片窟 その2

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こちらは私の部屋に置いてある棚。ガラスの殿堂と呼んでおります。特に気に入ったもので、ある程度の大きさがあるものを、時々入れ替えながら飾っています。
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私の部屋の押入れの中です。細かいもの、薄手のもの、細かく分類したいもの、謎の陶片などを仕舞ってあります。もっと重たいものを置いていた時期もあったのですが、たまたま見ていた日曜大工の番組で、押入れを改造するところを見てびっくり!押入れを上下に分ける板のなんと薄いこと、簡単にできていること!慌てて半分くらいを別の所に移しました。ちなみに、このおかげでお布団の方は部屋の隅に積んで、怪しげなインドのボロ布を掛けてあります。お江戸の長屋風といいますか、江戸陶片にあった生活ですね。
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なんでも、床に投げる習慣が未だに抜けず、部屋はたいていロクデモナイ状態なので、そういうマズイ部分を避けて写真を撮るのは大変でした。全体を写すといろいろばれるし、そうかといって、あまりアップだと埃とかゴミとかが写ってしまいます。その点、これならなんとか・・・机の後ろにある、引き出しが縦にずらーっと並んだ書類整理棚なんです。
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by touhen03 | 2006-04-30 22:31 | 陶片コレクション