久しぶりの似島

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27日、久しぶりに似島へ行きました。似島桟橋から長浜海岸までは、海沿いの道をしばらく歩きます。片側は山なので、潮のかおりに、ひんやりとした山の土や、草や木の青臭い匂いが混じります。もちろん、人の手の十分入った、だからこそ私が気軽に行ける場所なのですが、潮風も山の土も肺に吸い込むと、甘~い香りがします。
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なんて平凡な変わったところのない風景。でもここを歩くといつも幸せになります。地図で測ってみると450メートル程度ですが、こんな景色が続きます。毎回つい写真を撮ってしまいます。
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長浜海岸に着きました。干潮のピークの2時間前。ピーク時にはこの2~3倍以上干潟が現れますが、その頃には、陶片ハンターと化していますので、ピーク時の海岸全体を写した写真は未だにありません。
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長浜陶片海岸のアップです。近代陶片を中心に素晴らしい陶片の鉱脈?があります。うへへへ・・・ 今回の拾い物は近代陶片を中心に73個。整理がすんだらアップします。
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by touhen03 | 2006-06-30 23:17 | 似島

鞆の陶片の第一印象

鞆で拾ったのは2回だけですから、「鞆の陶片とは」などと言えるわけもないのだけれど、それでも187個も拾えば、幾らかの傾向は出ていそうです。ただ鞆の陶片を語ろうとするうちに、広島の陶片全体を語ることになってしまいそうで、どうしようと慌てました。でも始めてしまいましたから続けます。

私は広島の陶片海岸について、陶片密度、陶片の時代と種類、陶片の保存状態、海岸ごとの個性、この4つの観点から考えています。

1.陶片密度

一定の範囲内にある陶片の数からの分類です。ただし、それぞれの海岸で正確に数えたわけではなくて、実は単に拾った時の印象です。(^^ゞ これまで広島では似島の海岸が一番でした。よく「陶片が佃煮にするほどある」と表現してきた場所です。(便秘になりそうな佃煮ですこと・・・)宮島も陶片は多いのですが、幾つもある陶片スポットも「陶片が密集している」というほどではありません。その点では、鞆の陶片海岸、特に埋立予定地にある場所の場合、この密集度は一目見ただけで凄いです。私が知っている範囲では、広島で一番かもしれません。

2.陶片の時代と種類

(1)17世紀以前の陶片や、生活必需品以外の江戸陶片が出るか
江戸陶片は案外どこでも出ますが、18世紀半ば~幕末頃のものが大部分です。この頃、磁器或いは半磁器の食器が普及したためのようです。確かに広島のどこの海岸でも、線を引いたように、出てくるのは古くても18世紀半ば~後半頃に作られた、くらわんか茶碗や皿までです。それよりも古い、特に17世紀以前の陶片が出たのは、今のところ宮島と、呉市倉橋島の鹿老渡、海岸ではありませんが、八幡川河口付近くらいです。川の場合はどの場所から出たものかが判りにくいのですが、宮島は昔からの信仰&観光の地、鹿老渡は鞆と同じ、昔栄えた港です。鞆はその点、17世紀の肥前系青磁皿が出ました。表に模様が彫られた高級品で、当時の庶民には無縁のものです。(下の写真)18世紀前半くらいまでの唐津、或いは唐津かもしれないものも出ました。
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また、海岸の江戸陶片で圧倒的に多いのが、飯茶碗、小皿、湯のみなどの類いです。これらは生活必需品で、昔だって無いと困るものです。当然大量に流通していて、どこの海岸でも、出てくるのは主にこれらです。文房具や化粧用具、やや高級な皿が出る場所は幾らか限られてきます。鞆は、文房具の水滴(江戸時代なら。少し時代に不安があります)、化粧品などを入れた段重の破片、幕末頃ですが、比較的大きな染付皿など、高級品とは言えないまでも、生活を楽しむためのものが、たった2回で、幾つも拾えました。鞆の陶片は、豊かさの片鱗も覗かせています。
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(2)陶片の時代構成
拾った鞆の陶片の主な構成を見てみると、保命酒瓶(主に明治~戦前くらい?)が約35%、明治~大正(印判は昭和戦前の可能性もあるが含む)約26%、江戸陶片(それより古い可能性のあるもの、江戸陶片かもしれないものを含む)約18%、昭和と判るもの約11%、その他10%です。近代陶片の中に江戸陶片が少し混じるという構成は、他の広島の海岸の方に似ていて、ほぼ毎回、過半数を近代以前の陶片が占める宮島とは違います。ただし、例えば、今年3月30日の似島では82個の陶片を拾っていますが、このうち江戸陶片か、江戸陶片かもしれないものは7個です。「今日は江戸陶片が多いなあ」という印象を持った日でしたが、それでも拾った陶片の中の江戸陶片の割合は8.5%程度です。鞆の場合、海岸の状態を知りたくて、似島だったら拾わないかもしれないような保存状態の悪い近代陶片でも拾っていますから、鞆の近代以前の陶片率は、広島の海岸の平均より高いとは思います。

3.陶片の保存状態

宮島では、くらわんか茶碗が1/4~半分欠け程度の大きな破片で出てきます。近代陶片では、似島・長浜海岸の保存状態が飛び抜けていて、半分欠けくらいはザクザク、たまに完品も拾えます。八幡川河口付近の陶片は種類も多く、質も良く、古いものが出ますが、高台部分だけだったり、摩滅していたり、小片だったりすることが多いです。もっとも、たまに驚くほど保存状態の良いものが突然ころんと出てきて驚くことがありますけど。その他の海岸や川は、近代陶片については大きなものが出る場所は多いですが、、江戸陶片は高台付近や縁の小さなカケラの場合が多いです。鞆の場合はというと、今回の結果を見る限り、不思議なことに保存状態は保命酒瓶以外は良くないです。他の海岸並みでしょうか。理由は解りません。ただ明治の染付印刻小皿の大きな破片も出ていますから、保存状態については、何回か通わないと解らないかもしれません。下の写真は私が住む海田町を流れる瀬野川河口付近の陶片です。よくある保存状態はこんなものですが、鞆の陶片も、今回はあまり変わりませんでした。
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4.海岸ごとの個性

同じ広島の海岸でも、場所によって、そこだけに多く出る陶片というものがあります。たとえば宮島なら土器。古い時代から陶片が堆積しているのでしょう。似島の場合は緑の二重線が縁にある器や統制番号陶片、それに防衛食容器。昭和の陶片でどこにでもあるとはいえ、大小さまざまな破片がどこよりもたくさん出てきます。戦前は島に軍の施設があった影響なのかどうかは解りません。大久野島からは毒ガス工場関係の容器の破片が幾らでも出ていました。(聞くところによると、砒素が出て問題になった後、安全対策の結果か、陶片が見られなくなったそうです。一度行って確かめてみる必要がありそうです)そして、鞆では保命酒の容器です。昔の保命酒作りでは、割れた容器を海岸へ捨てていたそうですから、鞆の場合は、生活ゴミの堆積場所であると同時に、昔の産業廃棄物捨て場でもあったわけです。それぞれの陶片海岸の個性は、その土地の歴史と強く結びついていそうです。

こうやって見てみると、鞆の陶片の素質はかなり良さそうです。陶片密度が高いのは、陶片の状態から見て、場所の保存状態が良いというよりも、ゴミ捨て場の規模そのものが大きかったのかもしれません。(この点、似島の場合は逆で、ゴミ捨て場の規模は小さくても、保存状態が良いのでは???と思っています)古くからの港だったため、海岸線は昔からたえず人の手が入っているようで、18世紀末にも大掛かりな工事をしているようですから、宮島ほど古いものが拾えるかどうかは判らない気がします。それでも千石船や保命酒で栄えた、かつての鞆の繁栄を考えると、上手の伊万里や、文房具など趣味性の高いものが出てくる可能性は高そうですし、中国陶磁なども出る可能性はあると思います。海底に堆積した陶片の漂着がどの程度あるのかにも興味があります。出会ったばかりの鞆の陶片ですから、何を語るにも、もしかしたら~かも、ひょっとしたら~では、となってしまいますが、これからの出会いが楽しみです。ブログに不似合いな、やたらに煩雑な内容になってしまいましたが、ある程度陶片が溜まった頃に、改めて「陶片窟」で取り上げようと思っています。
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by touhen03 | 2006-06-27 00:34 |

鞆の陶片海岸について

まず、出てくる場所についてですが、今回の187個の陶片は非常に狭い範囲で拾っています。一つは「いろは丸展示館」のそばにある雁木の下周辺、もう一つは埋立予定地の干潟の東側ですが、雁木の下の、陶片が見つかった範囲は、地図で確認しても50メートルもありませんし、埋立予定地の方も、陶片が集中的に出てくるのはせいぜい100メートルくらいです。
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鞆に限らず広島の陶片海岸はとても狭いです。たとえば似島の長浜海岸の場合、陶片の出る範囲は200メートル程度、陶片のポイントが何箇所かに分かれている宮島の場合でも、それらを合わせて1000メートルを少し越える程度です。これは広島湾内の他の島や、呉線沿岸の干潟を歩いた場合も、陶片がある程度集中して出る場所はそんなものです。それらは河口周辺でなければ、かつてのゴミ捨て場の可能性が高いと思っています。

鞆の陶片海岸はどうでしょう。雁木のそばも、埋立予定地の干潟にも河口はありませんので、川の上流からの影響はなさそうです。万葉集の時代から港として知られていた場所で、積荷を満載した千石船がたくさん出入りしたはずですから、湾の海底には、運搬中に割れてしまった陶磁器など、船から投げ捨てられたものが堆積しているのではと思います。海底からの漂着があっても不思議のない場所です。ただ、ここは穏かな湾のなかですから、水面に浮かぶ他の漂着物と違い、海底から移動するにしても、大きな台風が来た時くらいかもしれません。むしろ、干潟の一部に異常に集中して陶片が出る様子など、ゴミ捨て場跡を思わせます。埋立予定地の西側には江戸時代に船の手入れや修理をした焚場遺構が残っているのですが、陶片集中地域は、その同じ干潟の反対側の端にあります。これなど、アサリの獲れる干潟の隅にゴミ捨て場があるのと似ています。とはいえ、まだ鞆との付き合いは始まったばかりですので、早急に結論は出せませんけど。

鞆は調べてみると、天然の良港だけあって、戦国時代の昔から埋め立てたり、人間がたえず手を加えて今に至っています。私は路線バスのおかげで鞆へ来ることができるのですが、そのバスが通る海岸沿いの道は戦後になって埋め立てた場所だそうです。朝鮮通信使の泊った対潮楼は今では道路の西側に、海岸からちょっと引っ込んだような感じで建っていますが、昔は波打ち際にあったわけです。それで対潮楼なのですね。下の写真は対潮楼と、その石垣です。石垣の全体写真を撮っておくべきでしたのに、石につけられた古い印の方が私は気になっていたみたいです。
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鞆港の外側の海岸線は既に昔のものではないのです。一方、湾の中ですが、雁木はもともと港湾施設ですし、県営桟橋だってありますので、雁木から東側には干潟らしい干潟はないようです。雁木より西側は、焚場遺構を含む干潟が続いているわけですが、聞いたところによると、焚場よりも西側のあたりは砂を入れているそうです。焚場遺構を含む200メートルちょっとが、江戸時代からの干潟というわけです。その東側に陶片の集中する場所があります。今回の埋立計画が実現すれば、どうやら江戸時代からの干潟は、焚場遺構の一部を除いて、ほとんど消えてしまうのがわかりました。埋立計画によると、この干潟も架橋後に新たに干潟を作ることで再生するんだそうですが、もちろん歴史の混じった土は失われますね。

次回は陶片そのものについてです。もう少し付き合ってくださいね。
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by touhen03 | 2006-06-24 10:43 |

6月10日、16日、2日間で拾った陶片、あるいは陶製品を整理してみました。ぜんぶで187個。写真はその一部です。
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17世紀~幕末頃までの陶片です。上段左より、17世紀の日本製青磁(色はかなりきれいです。波佐見産?)、隣は17~18世紀の刷毛目タイプの唐津っぽいのですが、高台の周りに天目茶碗のような段がなんと2回も。宮島では見たことがないです。古いのかどうかも含めて、ちょっと気になっています。その隣二つはつい一緒に写真に撮りましたが、時代の方は私にはわかりません。小さい破片は内側にロクロ跡があるので小瓶のようなものか。唐津っぽい気はします。中段左から2つ目と3つ目は18世紀半ば~後半の陶胎染付(半磁器)、その右横が18世紀唐津系小皿(宮島でもたくさん出てくるタイプ)、その次は水滴です。残りは18世紀半ば~幕末頃までの染付の碗、皿、段重です。
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こちらは近代のもの。上段左端、染付印刻小皿は、岐阜県陶磁資料館の収蔵品に似たものがあり、それによると明治の美濃産だそうです。このタイプは広島の他の地域でもたくさん出てきます。その隣は私が勝手に染色体模様と呼んでいる湯呑か盃。幕末~明治にかけて流行したようですが、これは見込みの模様が型紙摺りになっていますので明治です。外側もたぶん型紙摺りか。上段右から2つ目の小さな破片は銅版転写の徳利の首の付け根あたりです。中段左から2つ目は型紙摺りタイプの器に蛇の目釉剥ぎがあります。中央も明治で、青磁釉の上から型紙摺りで上絵付けしたもの。ほぼ同じ部分を持つ岐阜県陶磁資料館の収蔵品があります。海岸からもよく出てきます。右から2つ目は外側は型紙摺り、内側は手描きの蓋です。右端は昭和のゴム印タイプ、ウサギ柄です。下段右端は豪華な染付の便器、〇〇隠しの部分です。

ちょっと煩雑になりますが、以下は拾った全陶片、陶製品の内訳です。

保命酒瓶65(内、狸徳利51)、樽・甕・保命酒以外の酒瓶?など6、
古いすり鉢(江戸?)1

17世紀の青磁1、江戸時代の唐津、或いはその可能性のあるもの3、
陶胎染付2、18世紀半ば~幕末の染付18(碗・湯呑11 蓋2 皿5)、
水滴1※、18~19世紀の段重2、幕末の瀬戸・美濃系2(湯呑1、蓋1)
江戸時代かどうか迷うもの3(皿2、蓋1)
 ※ 水滴は江戸時代の肥前系は底が無釉らしいが、これは無釉なのかどう
   か、ちょっと微妙でわかりにくい。一応全体の雰囲気から江戸時代に分類

明治か、明治の可能性が高い印判以外のもの8(染色体湯呑か盃1、
染付印刻小皿1、手描きの碗・小鉢3、蛇の目釉剥ぎのある小皿2、
色絵染付皿1)

型紙摺りタイプの印判28(皿・小鉢類14 飯茶碗・蓋8 薄手の小皿2 湯呑2 小瓶1 青磁釉小皿1)、銅版転写タイプの印判12(小皿3 鉢3 いげ皿1 
徳利1 碗?1 タイル3)

昭和のもの19(緑の縦じまタイプ6 それ以外のゴム印タイプ4
統制番号の小片2 東陽軒平八製1 硬質陶器っぽいもの1
味噌屋さんの名前の入った皿1 おろし金1 フック1 その他2 )

その他16(焼きしめの盃1 ごく小さな土器皿の小片1 備前風の小さな盃1 人形の足2 便器1 沈子10) 

たった2日間拾っただけですが、分類してみると、それなりに特徴が出ています。鞆の町の歴史的な変化などを考えながら、今の時点でわかることをまとめてみたいのですが、時間がなくなったので、これは次回の記事にします。

本来は陶片窟で取り上げる内容ですが、これから何度も行って、この手の資料が集まった時に、改めて陶片窟でまとめたいと思っています。他の陶片ブログは図鑑的なものにしていきたいと思っていますので、陶片茶房にアップしました。
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by touhen03 | 2006-06-22 09:58 |

ところが、狸徳利については困ったことがありました。実は今もたくさん売られているのです。
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これは私が今回買ったものです。顔の表情、全体のデザイン、実によく似ています。多少ツヤがありますが、色も海岸のものとそっくりです。狸徳利の時代をどうやって見分けるか。まずは細かい部分を比べてみました。
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一目で違うのは底と盃の部分でした。底の写真は私が買ったものです。ピシッと平らな底で、色も体の部分と違いますが、海岸で拾ったものは、底に僅かな歪みがあり、色も体色と同じです。一方、盃ですが、写真左側が海岸で拾ったもの。右は今回買ったもの。今の盃には高台がついていました。しかし、胴体の部分だけ出てきたら、どう区別したらいいのでしょう。そこで、ちょっと可哀想な気もしましたが、買った狸徳利を割ってみました。
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それぞれ左側が買ったもの。右側が海岸で拾ったものです。内部を見ると一目瞭然でした。「保命酒屋」のご主人から、古いものは型に粘土を押し込んで作っていると教えてもらいましたが、たぶんこのことでしょう。内側や断面を見れば、最近のものかどうかは判断できそうです。
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これらはどれも海岸で拾ったものです。ほぼ同じ部分だと思います。
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そして、こちらが裏側です。左と中央のものは型に粘土を押し付けたような跡がありますが、右は滑らかです。もしかしたら、右の陶片は比較的新しいものかもしれません。
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by touhen03 | 2006-06-21 00:25 |

干潟の保命酒瓶たち

鞆の海岸からは、大量の陶片が出てきますが、その中で圧倒的に多いのが保命酒の容器です。
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2日間拾った結果ですが、狸の形をしたタイプの徳利だけで、これだけありました。
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もとはこんな形をしていました。「保命酒屋」さんのコレクションです。
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狸の顔、手、お腹、尻尾、そして底、いろいろなパーツで出てきます。左上にあるのは狸が被っていた笠で、盃を兼ねています。
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狸徳利の内部はこんな感じ。型に粘土を入れて半分ずつ作り、あとで貼り合わせた跡が残っています。最初は備前で作られたものが、後には丹波で焼かれるようになったとか。他の産地のものもあったのでしょうか。外側は似ていても、内側の土や断面を見ると、幾つかに分類できそうです。下段左端のものは、今回一つだけ、中に釉が掛かっていました。
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これも保命酒の瓶です。臍徳利と呼ばれるタイプは徳利の胴をへこませて、そこに大黒様などを貼り付けています。いろいろな産地で作られたようです。小さな角瓶は備前だそうです。

これらの大部分は、内側の様子から、たぶん戦前の、ある程度古い保命酒瓶のようです。中に少し、新しいのではと思える破片も混じっています。この先、もう少し知識がつけば、江戸時代のものを見分けられるようになるのではと思っています。
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by touhen03 | 2006-06-20 23:49 |

鞆の保命酒屋さん

鞆では、小さなお店の片隅に貴重な資料やおもしろい作品などが展示してあったりします。なかでも保命酒屋さんはすごい。それぞれのお店の許可を得て、ここに紹介します。
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重要文化財「太田家住宅」のすぐそばにある「保命酒屋」さん。ここのご主人は保命酒瓶や、鞆のことにとても詳しくて、江戸時代からの干潟がそのまま残っている場所や、既に砂を入れて昔の状態ではなくなっている場所について、また拾った保命酒瓶の時代についても、いろいろ教えてくださいました。保命酒瓶についての知識がなかった私はとても助かりました。
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これはお店の中に飾ってある、古い保命酒瓶です。私はお願いして、これに触ってみることができました。ほんものに触ることができると、海岸で破片を探す場合、ほんとうに助かります。
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こちらは「岡本亀太郎本店」さん。建物は福山城の長屋門を明治の初めに移築したものだそうです。お店の中には340年前の保命酒の大きな額もありました。ここのお店の方も、建物のことなど、大変丁寧に説明してくださいました。
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「入江豊三郎本店」さんの資料館です。いろいろな時代の、備前焼、丹波焼、鞆焼など、いろいろな産地で焼かれた保命酒瓶が丁寧な説明付きで展示されています。小さな資料館ですが、幾ら見ても見飽きない素晴らしいコレクションでした。「保命酒屋」さんに教えてもらった知識と、ここの資料館があれば、鞆の干潟から大量に出てくる保命酒瓶の判別にかなり役立つように思いました。

鞆は不思議な町です。町のお店屋さんが、ここの文化についての「学芸員さん」だったり、質の良い資料館を作っていたり、文化財を守っていたりしています。
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by touhen03 | 2006-06-20 23:19 |

鞆のお使い猫

鞆の町にはお寺や神社が多い。小さな祠まで含めると、もう無数と言っていいくらいです。そこにはお使い猫がいます。どう考えてもタダモノではありません。
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大可城跡、円福寺のお地蔵さん?道祖神?のそばで見た猫ちゃんです。
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同じ猫ですが、こんどは別のお地蔵さん?のそばに現れました。(私はこの手の小さい石像を見るとなんでもお地蔵さんだと思ってしまいますが、正確なところは判りません)お猫様、あなたはいったい???
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これは円福寺です。
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これは猫ではありませんが、円福寺の周りにたくさん植えられていた、カタツムリくらいの大きさのビワの実(たぶん)です。つい載せてしまいました。
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円福寺へ登る途中の鳥居にスリスリする猫ちゃんです。

16日に再び鞆へ行ってきました。たくさんの陶片を持ち帰り、現在バテていますが、また、ぼちぼちアップいたします。
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by touhen03 | 2006-06-19 09:06 |

鞆港を歩く その3

干潮の時刻が来るまで、私は鞆の町を歩きました。
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喫茶店「深津屋」さんと、そこに置いてある、漂着物学会員の前田さんの陶礫アート作品です。鞆で拾われた陶片を使われたとか。ここの海から生まれた作品が、この土地の喫茶店にさりげなく飾られているなんて、素敵ですね。

鞆の町や海岸を歩いて思ったことを書こうと思ったのですが、今、未消化なものが多すぎます。ここは昔の港湾施設の5点セット(常夜燈、雁木、波止、焚場、船番所)が残っている場所と言われていますが、実は6点セットです。港自体の他に、港町まで残っているのですから。ここの町は大八車に合わせて作られ、港は木造船に合わせて作られています。確かに現代人にとってはどんなにか不便なことでしょう。同時に、人間は僅かな間に、化け物のように巨大化したんだなと思いました。ここへ来ると昔の人の生活のサイズがわかります。鞆の町を紹介する写真を撮ったつもりだったのですが、後で見ると、観光ガイドブックの写真をヘタクソにしたようなのばかり。何度も通っているうちには、ここの雰囲気を伝える写真が偶然撮れるかもしれませんので、そのときアップすることにしました。

観光資源になる、さわりの部分だけ残しても、貴重な世界を残すことはできないでしょう。これは生物の生態系と同じだと思うんです。埋め立てた後で、養浜とか言って、人工の浜辺を作るそうです。再生するんだそうです。その土地の土には、生物だけではなく、人間の歴史も棲息しています。土の歴史も再生するんでしょうか・・・

でも私はそこに住んでいるわけではないです。便利な場所に住みながら、そこに住んでいる方達に不便を我慢しろなどとは言えないです。私はこれから、できるだけ時間を都合して、埋め立て予定地や、きっと影響を受けるはずの場所を歩いては、そこから何が出てくるか拾ってみようと思います。埋め立ての是非ではなく、もしも実現すれば、どんなものが埋め立てられるのか、具体的に記録してみようと思います。埋められるもの目録です。なーんだ、ゴミばかりじゃん、安心した。なんて言われそうな気もしますけど。
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by touhen03 | 2006-06-13 01:31 |

ああびっくりした!

熟睡していると、突然の激しい揺れで叩き起こされた!地震でした。ひどい地域は震度5。私の住む海田町は震度4でした。でも、震度5の間違いでは・・・?とニュースを何度も見たほど、ひどい揺れでした。「陶片が!」慌てて陶片を飾っている棚を押さえました。無事でした。一つも割れていません。別の部屋に置いてあるものも無事。漂着物も、もちろん家族も無事。ほっとしました。さて・・・JRは運転見合わせらしい。バスのヤツは動いているし、市内電車も大丈夫らしい。ちぇっ!・・・じゃなくて、良かった。これから苦労して出勤だ。
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by touhen03 | 2006-06-12 06:40 | その他