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夕暮れの満ち潮時です。広かった干潟もあらかた消えてしまいます。
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大鳥居の干潟から、フェリー桟橋の方へと帰る道、お土産屋の明かりが目立ちはじめます。
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海岸に沿った店はずいぶんと早仕舞いなのですが、こちらの通りはもう少し遅くまでやっているのかな。この時、既に6時を過ぎていたと思います。今度ここの宵っ張り度を確認しておきます。いつもほとんど行かないのですが、今日はちょこっとだけ覗いてみました。
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なんと見つけました!名前も「鹿のふんふんふん」宮島名物の鹿のフンをお菓子にしたものがあったのです。以前、「ゴリラの鼻くそ」というお菓子を取り上げた時に、「鹿の雲古」も作ったらどうかと、ブログで提案したことがありましたが、やはり考えた人はいたのです。素晴らしい!!宮島では、遠くから来た観光客は、服装や荷物、引率するガイドさんなどを見なくても判ります。空を見上げて、ぼんやり能天気に歩いているからです。地元の通?は、必ず横目でチラッと地面を確認することを忘れません。可愛い鹿の落し物を踏まないように気をつけます。 宮島には観光ガイドブックに載らない、隠れた名物が2つ有り、それが陶片と鹿のフンなのです。美しい陶片はともかく、フンは困りモノですが、これを観光に利用しない手はないと私は思っています。木の実のように小さくて、ころっとしていて、ツヤツヤしていて、よほど運が良ければ、鹿のトイレタイムに遭遇して、これがバラバラバラッと勢いよく地面に撒かれる場面を見ることができるかもしれません。子供の頃連れて行ってもらったサーカスで、ゾウがウンコをし、それが何よりも面白かったのを今でも覚えています。「鹿のウンコが見られます」ファミリー向けに宣伝してみたらどうでしょう。子供はウンコが好きですから。
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というわけで、お菓子を作ったメーカーさんの先見性に敬意を表し、この「鹿のふんふんふん」1箱買ってみました。見た目のデキが良くて美味しかったら、来月参加する漂着物学会北海道大会に持っていこうと思ったのですが・・・結果はこのとおり。がっかりです。鹿は、こんな下品なウンコはしません!ちっちゃくて可愛いんです。表面はツルツルで、それにまん丸じゃありません。踏み潰されない限り、平らな底なんて無いです。(味もチョコクランチとしては美味しくないです。ザラザラとした質の悪いクッキーでも食べているような。チョコレートの量をケチった?)やはり鹿のフンをお菓子にするのなら甘納豆ですね。麦チョコか、楕円に加工したチョコボールくらいなら、なんとか許せるかもしれません。このお菓子、思いつきだけはいいんです。ぜひ、もうひと工夫して、もみじ饅頭と並んで、宮島を代表するお菓子となって欲しいものです。頑張れ!

道路や広場のフンは、感心するほど度々掃除されていますし、それに踏んだとしても、犬や猫、まして人間のフンを踏んだようなことはなく、ま、繊維質の多い泥のようなもので、あまり臭くも感じませんので、案外気にすることもないかも・・・ね。
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by touhen03 | 2006-09-27 09:27 | 宮島

よく晴れて気持ちの良い日で、海がとてもきれいでした。
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この日は波打ち際が、小さなガラスか、水晶を撒いたようでした。なんとかこの瞬間を残したくて、何度もカメラのレンズを向けました。(^^ゞ 穏かな広島湾の引き潮時。好きなんです。

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陶片が少なかったので、珍しく陶片以外のビーチコーミングもしてみました。銃の薬きょうの蓋が2つと、鞆以外の広島では初めて、ガラス製石蹴りを拾いました。でも、写真がピンボケなので、これ以上大きなサイズではお見せできません。

貝殻も探してみました。宮島の貝殻は全体に白茶けています。そう美しくもないし、珍しいものもありそうに思えませんでした。それでも目を凝らしながら、貝殻の溜まり場にそって歩いてみました。目の焦点が陶片と違うのか、けっこう疲れました。
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ちょっと座り込んで、砂や小石ごと掬ってはふるいました。目立つのは牡蠣やアサリの殻、それにフジツボ。ナミマガシワもたくさんありますが、似島産のものと違って、なぜかあまり美しいものがありません。それでも磯乞食の目を通して、きれいなもの、可愛いヤツ、おもしろい形をした貝だけを選りすぐり、キラキラした宮島産の貝にできないかしらと思いました。
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そして・・・しばらく頑張った成果がこれです。うーん、平凡。でも、まあ、牡蠣の殻だって、チビ牡蠣の時は、殻そのものが生き物みたいで、けっこう可愛いでしょう。
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by touhen03 | 2006-09-27 01:00 | 宮島

鞆通いが続いたせいで、2ヶ月半ぶりの宮島です。久しぶりなので、さぞかし山のようにあるだろうと思い、コロ付のバックまで用意していたのですが・・・
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おもしろいモノが無かったわけではないんです。土器、須恵器らしいもの、古いすり鉢、唐津、わりに古いタイプの紅皿の小さな破片、陶製のおろし金・・・全体に渋めのモノが多く、ちょっと時代の判断がしにくいもの、或いは小さかったり、判りにくい形で出てきたものが多かったのです。くらわんかや、江戸の染付の食器、青磁のようなモノが少なくて、全体の量も少ない。私の脳裏に一瞬浮かんだ、密猟者・・・じゃなくて、強力なライバルの影?(^^ゞ 

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これが宮島の陶片密集状態です。一番陶片の多い場所を写しました。鞆や似島に比べると宮島の陶片密度は低いです。もっとも密猟者・・・じゃなくて、まだお会いしていない同好の方が陶片をたくさん拉致・・・じゃなくて、収集していったため、いっそう淋しくなった可能性もありますけど。ただ、これでも、カメラの中に、これだけの数が納まるというのは、並のことではないのです。

実は、これだけ古い陶片が多い干潟なのに、お仲間らしい人に出会ったことが無いのです。でも10年前に比べて、宮島から出る陶片は、質の良さは変わらなくても、小片が多くなったような気がします。つい陶片の埋蔵量が気になってしまいます。宮島の浜の蔵は、いったいどの程度の陶片をしまってあるのでしょう。古い陶片は増えたりはしません。そして何百年もの間、既に割れて使えなくなった陶片を拾う物好きなどいなかっただろうと思います。「まーだまだ、大丈夫!それより保存場所の心配でもしてなさい」と厳島神社の女神様に言ってもらえるとうれしいのですけど。
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by touhen03 | 2006-09-26 23:43 | 宮島

鞆の宝物尽くし その2

鞆の宝物第2弾。鞆の陶片の特徴は、古い、種類が多いですが、もう一つの特徴は保命酒の容器の多さです。産地だけあって、これはもう、山ほどあります。全部はさすがに拾いきれません。私の陶片部屋に茶色の塊が段ボール1箱分溜まりました。昔の産業廃棄物です。現在は海岸に投棄などしないでしょうから、どれもある程度は古いもののようです。
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これは狸徳利です。現在のモノとは内部の作りがまるで違います。背中や底の部分をたくさん拾うと、後で実は少々うんざりします。でも、こんなふうに顔や手など、可愛いパーツを中心に集めてみると、これも悪くないです。顔は必ず拾ってしまいます。(^^ゞ
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これも保命酒の容器と、たぶん容器だろうと思うもの。左側の大黒様などを貼り付けたのはへそ徳利、真ん中の横に筋の入った大きな破片は、量り売りの保命酒を入れたものらしい。その横の小さな角瓶は備前焼き。保命酒の容器としては代表的なもののようですが、今のところ私が拾ったのはこれ1つです。「保命酒屋」のご主人によると、以前たくさん拾ったことがあるそうです。量り売り用の容器と角瓶の間に見える、ごく小さな容器の口の部分、これは手の中に隠すことができそうなほど小さな瓶でお土産用です。薬酒ですからがぶ飲みするものではないし、持ち帰るのに、重たいものは困りますからね。右上のひと塊の容器達も、たぶん保命酒容器だろうと思います。このタイプも海岸にたくさんあります。
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これも、鞆の海岸に多いものです。毎回必ず見つかります。他の広島の海岸では、こんなには見たことがありません。
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何だろうと思っていたら、「いろは丸展示館」の隣、喫茶店「とうろどう」に飾ってありましたので、許可を得て撮らせてもらいました。醤油樽でした。(このタイプの樽がすべて醤油樽なのかどうかは未確認です)
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真ん中は戦時中の統制番号陶器で、瀬戸市品野町で作られたもの。左上は陶製おろし金。白いタイプは金属代用品として作られたもので、統制番号入りのものもあります。茶色の方は、古瀬戸のように皿の形をしています。陶製おろし金は明治時代にもあったらしいので、これは戦時中のものなのかどうか、私にはわかりません。陶製パレットの梅皿も昭和以前からあったようです。梅皿右横はウイロー・パターンの食器、梅皿の上は、P.の小瓶の底の部分です。その上に昭和の代表的なデザインの盃があります。右上のひと塊の皿はお店の名前の入った皿で、味噌、醤油屋さん、それに?命酒と書かれたもの。(保命酒か?)醤油屋さん、酒屋さんの店名入りの陶片は海岸で時々見かけます。ちょっと昔の代表的ノベルティ・グッズのようです。その下は昭和の緑縦縞タイプと緑二重線の食器。鞆はなぜか、緑二重線よりも、緑縦縞の方がよく出てきます。
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タイル、染付大便器の〇〇隠し、安芸津(呉線沿岸の地名)入りお相撲さん型土鈴、陶製人形の足、漁業の陶製沈子、灯明具(時代は不明、近代のものか)、すり鉢(時代はわからないけれど、中の櫛目がまばら、けっこう古いのではと思う)

5回の鞆行きで拾った、500個を越える陶片から選んで紹介しました。これが鞆の干潟です。
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by touhen03 | 2006-09-20 01:24 |

鞆の宝物尽くし その1

今まで何度か拾った陶片の内訳をアップしており、今回拾った陶片が500個を越えたため、その内訳を書き込もうと思いましたが、なんだか読み物として、あんまり面白くない。そこで今回は、代表的な陶片、珍しいもの、おもしろいものを写真とともに紹介します。鞆の宝物尽くしです。
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まずは一番古い陶片達。上段左端はもちろん、あの中国青磁碗です。その隣は17世紀の日本製の青磁皿です。表の写真はこれです。
日本製青磁皿の右隣は土器です。よく見ると櫛目のような筋が入っています。けっこう古いのかもしれませんが、今のところこれ以上は何もわからないです。残りは17世紀半ば~後半の染付と、京焼風陶器や刷毛目タイプなどの唐津系です。
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これは18世紀半ば~幕末のものです。くらわんかの茶碗に小皿、灰色っぽいタイプの陶胎染付。19世紀の線描きタイプのかなり大きな皿は、飯茶碗などの日常食器に比べると少し贅沢品だったのか、こんなに出る場所は少ないです。化粧品などを入れたらしい段重(左上、大きな角皿の上)、蝶の模様入りのお洒落な小皿や本の絵が入った小片は遊び心のある器達。右端下は佐賀県塩田町の志田窯製か。江戸~明治の海岸陶片の代表格の一つですが、これもちゃんと出ました。呉須の色の感じから、これは江戸時代かな。
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近代初期もの。左端上の菊花型押し皿は江戸時代の早い時期からあるデザインですが、海岸で出会うものは幕末~明治が多いようです。その右隣の湯呑か盃の破片は、私が勝手に染色体模様と呼んでいて、このデザイン、幕末~明治に大流行しました。激動の維新前後を生き抜いた小さな器は、時代の変化につれて、天然呉須の手描き、合成染料の手描き、印判(型紙摺りタイプ)と様々な方法で絵付けされています。鞆で出たのは明治モノのようです。左端下の波と鳥の染付印刻小皿や、その右上、染付型押し小皿の小片は明治時代に美濃で量産されたもの。その横の角ばった小片2つは水滴です。(左側のもたぶん)右側は江戸か近代か、ちょっと迷っています。その上は明治の手描き。裏は型紙摺りです。右側の5つは、近代皿なのに、蛇の目釉剥ぎがあります。お皿の真ん中の釉をドーナツ状に剥いだもので、窯で重ね焼きをする時に、器どうしが癒着しないためですが、江戸時代に盛んだった方法です。近代初期ものと大雑把な表現をしましたが、蛇の目釉剥ぎには思ったより時代の幅があるようで、とりあえずの分類です。他も、幕末~明治に多かったもの&明治のものというくらいの分類です。陶片の出る海岸や川なら、何度も通っていれば、いずれ出てくるモノ達ですが、鞆の場合はあっという間に揃ってしまいました。
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印判の器達です。右側はおもに明治に大量生産された型紙摺り(摺絵)タイプ、左側は明治~昭和の銅版転写です。写真には比較的大きな破片を集めましたが、不思議なことに鞆の印判陶片はあまりパッとしません。型紙摺りタイプは、数は多いのですが、ほとんどは小片ばかりで、大きなカケラは珍しいんです。銅版転写の方は、数そのものが他の陶片に比べて少ない気がします。広島湾の島や呉線沿岸の陶片海岸の多くは印判食器が中心で、これよりも良いモノが出ています。ただ鞆も、皿、大皿、飯茶碗、蓋、湯のみ、徳利、鉢、火入れ?など満遍なく出てはいます。

年代については、いつも幾らかヒヤヒヤしながら書いています。できるだけ正確にと思っていますが、間違いがある・・・かもしれないです。m(__)m 
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by touhen03 | 2006-09-19 23:47 |

陶片ばかり紹介しましたが、実は今回は陶片以外にも面白い拾い物がありました。
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まずはガラス製石蹴りです。比較的似通ったデザインのものが、毎回こんな調子で出てくるんです。宮島や似島では未だに1つも拾っていないのに不思議です。ひょっとして、鞆の駄菓子屋さんが廃業した時に捨てた?それとも、これを作る業者がいた?鞆は豊かだったので、お小遣いをたくさんもらえる子が多くてガラス製石蹴りがよく売れた???勝手な想像をしてみましたが、ちょっと不思議です。
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コカ・コーラの壜の破片ですが、よーく見ると、コーラの文字の部分が浮き彫りになっています。私の記憶にあるガラス瓶コーラの文字はガラスに直接印刷してありました。これは占領期のものでは?!大喜びで、ネットで検索してみました。しかし戦後すぐにアメリカから輸入されたものは透明な瓶でした。緑色のもありましたが、Colaの文字の下の小さな文字が当時のものはTRADE MARKらしいのに、これは微かに残る最後の文字がR?EDです。どうも昭和39年(1964年)から時々生産されたものに似ています。(^^ゞ
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これ、ガラス浮子のヘソでしょうか。それにしては反り方が逆なんですけど。でも、けっこういびつな形をしたガラス浮子があったようですし・・・もし、これがそうなら、私が広島で初めて見つけたガラス浮子ということになります。浮子に詳しい方、いかがでしょう?
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石製の沈子も拾いました。鞆の県営桟橋から定期船が出ている走島でこれと同じタイプを1つ拾っています。瀬戸内海に多いタイプの沈子らしいです。

鞆の干潟は宝の山なんです。
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by touhen03 | 2006-09-19 00:23 |

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これも雁木の下の狭い干潟で見つけました。統制番号入りの蓋のようです。ネオパピロン、一応ネットで検索してみましたが何も判りませんでした。番号から、現在の土岐市下石町で作られたことがわかります。代用品として作られたのでしょうけど、なんだか、そのまま戦後のプラスチック容器のデザインになりそうな雰囲気です。これは今回、中国青磁の次に嬉しい拾い物でした。

※ 正体不明のネオパビロン、richouken04さんのおかげで、シップ薬の容器とわかりました。複数の窯で作られたようです。ありがとうございました。


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ままごと用のお皿だと思うのですが、皿の表に釉が掛かっていません。まるでこの部分は必要ないかのように・・・いったい、これはどうしたのでしょう。玩具の食器だとしたら、ままごとセットの箱の上から見える部分だけ塗ったのでしょうか。そういえば昔、昭和40年代初めぐらいまで、安物の人形の足は靴を履いた状態で成型されていることが多く、簡単に赤い色が塗ってありましたけど、ときどき底が塗られていないものがありました。あれと同じかもしれません。でも、ちょっと不思議です。
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by touhen03 | 2006-09-18 23:26 |

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これは今回出てきた江戸時代の陶片です。(1つだけ混じっている土器は時代がわかりません。もっと古いかも・・・)宮島に比べて保存状態がやや悪く、小さい破片が多いのですが、それでも、土器の左側の三角の小さい染付、右側の京焼風陶器っぽいもの、それより少し下にある、褐色の四角な刷毛目タイプの唐津、これらは17~18世紀前半くらいの比較的古いものです。土器の左下の少し大きな鳳凰文の破片も、もしかしたら、18世紀半ばよりも古いかもしれません。(これは自信なし)これらは、宮島以外の広島の海岸ではなかなか出てきません。それがここでは、ご覧の通り一度に拾えます。残りは概ね18世紀半ば~幕末です。くらわんか茶碗や皿、壜の破片、青磁染付碗、灰色をした陶胎染付、写真右上の細長い薄手の陶片は佐賀県塩田町の志田窯あたりで作られたものか。幕末の線描きタイプの陶片は今回も大きな破片で見つかりました。どこの海岸からも出てきますが、ここなら1度で江戸の量産食器の標本がつくれそうです。

ところで、今回の江戸モノの中で面白いと思ったのは、写真右下端の大きな破片です。これは焚場の干潟ではなく、雁木の下で拾いました。
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裏の高台部分の写真です。こんな形は初めて見ました。糸底の部分が花びらのようになっているうえ、四隅に穴が開けてあります。まさか、ここから吊り下げたりしたのでしょうか???だとしたら、これは何でしょう。高台内は蛇の目高台になっています。特徴のある線描きの模様と、天然呉須らしい染付の色から、江戸後期~幕末のものであることは判ります。
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by touhen03 | 2006-09-18 22:45 |

9月14日、鞆行き

ほぼ1ヶ月ぶりに鞆へ行ってきました。潮が悪く、干潟の条件も悪かったのですが、今回は驚くほど良いものに恵まれました。なかでもこれ!中国の青磁片です。宮島以外の広島の海岸では初めて出ました。色は褐色に近くて、青磁という言葉のイメージと違いそうですが、これも立派な青磁なんです。13~14世紀くらい???時代の正確なところは自信がないです。
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真ん中に吉という字が見えます。まわりに菊か蓮の花を思わせるような、ちょっと凝った模様もあります。
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高台は中国陶磁によくあるタイプで、干潟ではこちらの側を見せていました。見たとたん、胸がドキドキしました。岩をコーティングしたような、カチンとした質感、断面も独特の気泡あり。おおーっ!出た、出たあ~!中国の青磁だあ!やったー、きゃっほー!!青磁の部分をよく見ると、微かに縦に幾つか筋が見えます。断面の写真の、釉下の生地の部分を見てください。角張った部分があるでしょう。どうやら外側に蓮の花びらをモチーフにした蓮弁と呼ばれる模様があったようです。

今回、5回目の鞆行きで、ついに中国陶磁を拾うことができました。鎌倉の材木座、由比ガ浜あたりや、福岡の玄界灘周辺ではさほど珍しくない中国陶磁ですが、これを広島で拾うとなると話が違ってきます。今まで宮島で10個程度拾っているのみ、青磁は今回で4個目です。くらわんかタイプの飯茶碗や皿など、磁器や半磁器の器が庶民にまで広がった18世紀半ば以降のものなら、どんな田舎の海岸からでも、川からでも、土が保存されている限りは出てきますが、それよりも古いものや、舶来の輸入品となると、まるで見えない線でも引いてあるかのように出てこないんです。庶民の日用品ではなかったのですね。18世紀半ばの見えない線。これより古いものが出たのは、広島では今のところ、宮島、倉橋の鹿老渡(砂目跡のある唐津、かつて潮待ちの港でした)、八幡川(土器、須恵器、すり鉢)、そして鞆です。

鞆では1回目に17世紀の日本製の青磁皿を拾い、ここは何でも出るぞと思いました。古くからの港として栄え、保命酒の産地でもある鞆は、歴史的背景から見ても、古いものや高級品が出る理由は十分にありました。しかし2回目以降は、他の広島の海岸ではあまり出ていない、江戸後期~幕末頃のやや大きな皿の破片が見つかること、出てくるものの種類が多くて、18世紀半ば以降のありとあらゆるタイプの陶片が、驚くほど早く出揃ったことなど、ここがタダモノでない片鱗はありましたが、思ったほど古い時代のものは出ませんでした。干潟の一部に陶片が集中し、波打ち際よりも、満潮線や、それよりも上の波を被らないあたりの方が多いなど、海底からの漂着よりも、生活ゴミの堆積が中心と思わせる陶片の出方でしたが、歴史はあっても港湾施設の性格上、江戸時代から何度も改修されたり、埋め立てられたりしていますので、思ったより土の保存は良くないのかなと思ったりしていました。

しかし、やはり鞆からは出ました。船の焚場跡のある干潟の、埋立予定地となっている場所からです。月に1度やってくるだけの私が、ここに住んでいる方達に不便を忍べとは言いにくいです。住民の方達が、これからどんな選択をされるにせよ、できるだけ何度も通って、拾っておこうと思います。今回のものを含めて、鞆で拾った陶片は512個(陶製沈子を除く)になりました。中国陶磁、江戸陶片~昭和のものまで、ありとあらゆる時代の陶片です。鞆の人々が、どんなもので食事をし、暮らしてきたかの記録であり、おもに江戸後期以降の庶民の生活史です。四国の、合併して今は黒潮町となった旧大方町には、砂浜美術館というものがあります。建物はなく、美しい砂浜を美術館に見立て、そこにある自然や、漂着物を展示物とするユニークな考え方の美術館です。その考え方を借りれば、ここ鞆の干潟は、歴史民俗資料館のようです。

これから、何回かにわけて、今回の鞆行きの記事をアップしようと思います。
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by touhen03 | 2006-09-16 08:43 |

出ました!

今日、鞆へ行ってきました。たぶんここなら出るだろうと予測していた中国陶磁がでました。詳細は後日。エネルギー切れです。
ぐぅ・・・(-_-)zzz
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by touhen03 | 2006-09-14 22:08 |