加茂川の川土手は懐かしい土のままの道でした。周りには小さな実をつけた木や草が多く、なかでもすごいのがこれ。
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 ぶどうそっくりの黒い小さな実をつけた房が、そこらじゅうに実っているのです。
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 つる性で、高い木の上にもほら!私は5~6才の頃、野ぶどうを食べた記憶がありますが、そのかすかな記憶にちょっと似ているような気がしました。
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 こんな草むらにも実っています。写真で見るよりも、実際にはもっとたくさん、たくさんあるんです。はしから収穫し、干して冬の食料に蓄えたい(すでに冬ですけど)・・・無人島生活妄想がわいてきたほどです。
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 これが実です。あの時の野ぶどうなのだろうか?野イチゴとともに、野外で食べたものの中では特に美味しかった野ぶどう。これくらいの小さな房だったはずだけど、おぼろげな記憶で、葉や実のつき方までは覚えていませんでした。そこでハチの干潟の入口まで引き返して、山道を教えてくれた地元の方に聞いてみました。すると、これは野ぶどうではないが、食べられないことはない。ヒヨ(ヒヨドリ)がよく食べるとのこと。それならと、すぐに一房食べてみました。野ぶどうの甘酸っぱい記憶とは違い、あまり味はなく、小石のような大きな種の周りに皮がくっついたという感じ。それでも種と皮の間には微かな微かな甘みの部分がありました。私が昔の子供で、おやつが無かったなら、きっと食べたのではないかな・・・と思いました。

ハチの干潟と加茂川シリーズはこれで終わりです。春になって、再び干潟を訪ねましたら、またご報告いたします。
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by touhen03 | 2008-01-23 23:22 | 呉線沿岸

直腸内の内容物。でも、神様のモノですから神聖です。
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 まあ、川の陶片としては、ごく普通の品揃えですが、18~19世紀頃の江戸陶片も幾らか出てくれました。江戸後期の茶碗の蓋(真ん中近くにある、内側に模様のあるもの)の左下は、色がうまく写りませんでしたが、18世紀後半の青磁染付碗です。
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 ブランドものも見つかりました。これは深川製磁製の飯茶碗です。底に富士山のマークが入っています。昭和戦前くらいかなと思っています。
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by touhen03 | 2008-01-20 01:43 | 呉線沿岸

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 日本神話には国生みの話がありますが、古代人の心では、自らの体の不思議さと、大地や自然、宇宙が一体になっていたのでしょう。両側から山が突き出て河口が狭くなっているために、痔の薬の広告図を連想してしまう加茂川。川床に降りてみると、古代神話の神様の体内にでもいるような気がしました。加茂川比売の命はハチの干潟に向かって、ドドーッと真っ直ぐ流れていきます。私は上流に向かって座薬のように遡りました。
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 加茂川の川床は固く、とても歩きやすい川でした。
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 何がいるのでしょう。こんなボコボコはよく見ますが、ここのは一つ一つが大きいのです。しかもたくさん・・・
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by touhen03 | 2008-01-20 01:10 | 呉線沿岸

なんだか、まったりと進んでいくシリーズですが・・・

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 ハチの干潟の入り口付近に架かる皆実橋です。これがなかなかのもんなのです。
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 見てください、丸太でできています。橋脚などコンクリート製の部分もありますが、素敵な橋でしょう。
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 私の大好きな橋の下。橋というものは下から眺めるもんだと思っています。橋脚越しの「秘境」風景。実はここから眺めるのが一番美しかったのです。
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 橋の下あたりには小さな干潟もあり、陶片もちらほら・・・
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 江戸モノっぽい小片も見つけました。
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 最後にもう一枚。これはどこでしょう。皆実橋の上から、竹原の町の方を写しました。後ろを振り返れば「秘境」です。続く・・・
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by touhen03 | 2008-01-19 00:32 | 呉線沿岸

 潮の良く引く季節、大潮の干潮時なら、川床を歩いて干潟へ出られるそうですが、今回は無理でした。がっかりしている私に、地元の方が山道を通って干潟へ出る方法を教えてくれました。一番の近道は干潟へ向かって左側の小山を抜ける方法でした。しかし・・・これがワイルドなこと、入り口から驚くほど急で、こんな所、私の足だけではしばらくでも体を支えられそうにない。見上げると掴まって登るための綱が見えます。ほんの何メートルかは登ってみましたが、下を見た瞬間、高所恐怖症の私でもまだ自力で降りることができるうちにやめた方がいいことがすぐわかりましたので、あっと言う間に諦めました。

 引き返してきた私に、同じ地元の方がもう一つの山道を教えてくれました。こちらは干潟へ向かって右側の小山を抜ける道で、さっきよりは遠いけど、それほど険しくないとのことでした。行ってみました。
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 これです。さっきの道を見ていますから、「それほど険しくない」という言葉に納得するしかありません。なんだって比較のもんだいです。(^◇^) たぶん、あの年配の男性は子供の頃、この山を駆け回って遊んでいたのかもしれません。今だってこれくらい何ともないのでしょう。事実この山、とても低くて小さく、体力はなくても平衡感覚と敏捷ささえあれば、あっという間に越せそうです。ただね、私には登れるぎりぎりに思えるほど急な上に、落ち葉が積もっていて滑るんです。周りの竹か木を持っていなければ、私は一歩も進めませんでしたよ。それでもここまで来て悔しいので登りましたが、途中から細い道の片側が竹薮の斜面になり、(地元の人が見て笑うと恥ずかしいので、私の感覚のままに崖などと表現するのは止めときますけど。(^^ゞ )ところどころ竹が幹の途中で切られています。こ、これって、もし運動神経ゼロの陶片狂なんかが転んで落っこちたら、竹矢来なんじゃあ・・・ひええ~、でも、竹薮の向こうには素敵な干潟が透けて見えます。石ころまで見えるのですから、この山の小ささがわかるというもの。もし一人でさえなければ、ほんとうに馬鹿馬鹿しいほどの山越えのようにも思えます。あれだけ急な坂道なのに、私でも体力的な問題は感じないほどすぐに干潟が見えるのです。これは、怖いと思うのは、もしかして気のせいでは・・・そう思ってもう少し歩きました。もうすぐそこに干潟が見える。ところが、たぶん最後の関門だったかもしれないのですが、かなり急な坂道(理性的な表現に努めています)があり、困ったことに、掴まるのに良さそうな木や竹が無い。足だけで降りられそうにないので、腰を下ろして滑り降りるしかなさそうでしたが、ふと、これ帰りに再び登れるんだろうか?と思いました。下りる時に掴まるものが無いからには、登るときには自分の手と足の力だけで這い上がる必要がありそうです。目の前には干潟が見えます。漂着物世界の人達を思い浮かべました。彼ら彼女らなら、もしかしたら、ものに掴まりもせずに駆け下りるのでは・・・そんな気もするのですが、でもここにいるのは陶片狂なわけですから。ついに干潟を目の前に引き返しました。

 さっきの地元のおじさまは、やはり同じ場所におられましたので、ちょっとバツが悪かったのですが、「運動神経がゼロなので、よく潮の引く季節に来ます」と言っておきました。もちろん必ず春になったら行くつもりです。もうこれは陶片が有る無しの問題ではなく、出来上がってしまったのです、妄想が。大潮の干潮時、それも潮の引きの良い日でなければ渡れない河口を通るか、命がけで(オイオイ・・・)山越えをしないと入れない干潟が、広島のこんな近くにあったんだ~~~!こんな冒険的で、キケン極まりない?夢のような場所があるなんて。突然ロビンソン・クルーソーの無人島でも手に入ったようなものです。そんなハイな気分の私に、もう一人の地元の方が、ぼそっとトンデモナイことを言いかけたような・・・ずっと遠回りになるが、もっと穏やかな道があると。たぶんそう言ったような気がする。小さな声で。私にも、遠くにセメントで固めた山肌に、クリスマスツリーのリースのように道が続いているのが見えました。あれかな・・・と思いましたが、もうそれ以上は聞きませんでした。だって、この素晴らしい設定が気に入ったんですもん。嫌だ、安全な道があるなんて。

そんなわけで、この日は干潟に注ぐ加茂川の方を漁ることにしました。続く・・・
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by touhen03 | 2008-01-18 00:45 | 呉線沿岸

 今月上旬、竹原市のハチの干潟へ行くことにしました。ハチの干潟は竹原市内を流れる加茂川の河口に広がる自然豊かな干潟で、藻場造成計画もありましたが、反対運動のおかげで業者が事業申請を取り下げたそうです。自然豊かな場所に陶片があるとは限らないのですが、テレビでこの干潟の映像を見て、突然行ってみようと思ったのです。町の規模こそ小さいけれども、江戸時代は製塩で栄え、安芸の小京都と呼ばれる古い町並みが残る竹原市内を流れる川の河口で、しかも人の手があまり入っていないのなら、川からの陶片も幾らか堆積しているのでは?と思いました。何よりとても臨場感のある映像で、小石混じりの陶片がありそうな場所も映っていたため、妄想がつのったようでした。そんなわけで、あまり潮が良くないけれど、とにかく行ってみました。
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 加茂川からハチの干潟の方角を写しました。干潟は小さな二つの山の向こうに広がっています。ちょうど山のせいで河口部が狭まり、加茂川を直腸とすれば、まるで痔の薬の広告のような地形なんです。そのせいで水が溜まるのか干潮のピーク時でも、上流部では川床が現れるのに、河口部は深いままでした。
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 これがハチの干潟の入口です。ゴミゴミした海岸に慣れている私の目には、広島にこんな美しい場所があるとは思いませんでした。竹原駅から歩いて僅か30分、実はすぐそばまで人家があるのに、深い山奥の渓谷の雰囲気さえあるではありませんか。しかし、これでも干潮時です。困りました。地元の人に聞くと、もっと潮の引く時期なら、川床を歩いて干潟に出ることができるそうです。

しばらくハチの干潟・加茂川シリーズが続きます。
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by touhen03 | 2008-01-17 00:57 | 呉線沿岸

くらわんか船の絵葉書

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 2005年の夏に始めて以来2年半、15000ヒットを達成することができました。更新のテンポにむらのあるこのブログを見捨てず、訪れてくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。

写真は戦前の絵葉書で、帝国美術院に出品された絵に描かれた「くらわんか舟」です。江戸時代、くらわんか舟は淀川を行く船に「あん餅くらわんか、酒くらわんか」「銭がなくてようくらわんか」と言って、お酒や食べ物を売ったそうです。そして、くらわんか舟で使われた安価な器も「くらわんか」と呼ばれるようになりました。

くらわんか舟の浮世絵の載ったサイト「狂歌・雑俳の中の「くらわんか舟」」がありました。なかなかおもしろいです。また、くらわんか舟をデザインした枚方市のマンホールの写真も見つけました。

※ 皆様いろいろコメントありがとうございます。さきほどこの記事のコメントに返信しようとしたのですが、コメント不可になっていると出てきて書き込めません。どうやらエキサイトブログ自体の不具合のようです。エキサイトの掲示板で確認しました。ID名でなら書き込みができるようです。エキサイトのIDを持っていない方の書き込みができない状態なのかもしれません。エキサイトブログ自体が原因のようですから、そのうち回復するだろうとは思いますが、ご不便をおかけいたします。m(_)m 
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by touhen03 | 2008-01-14 22:55 | 骨董市・ガラクタ

 私が買い集めたガラクタについて紹介していくつもりだった「陶片狂の玩具箱」は、こちらのブログと合併させることに致しました。

 「陶片窟」や図鑑ブログのように、普通のHP的な使い方をしているブログと違い、常時更新するブログを2つ以上持つのは私には無理らしく、けっきょく片方が休眠状態になってしまいます。また、骨董市の記事などは以前から「陶片茶房」に書いており、どちらのブログの記事にするべきなのか線引きが曖昧なものもありました。「陶片茶房」はもともと、陶片に限らず、ビーチコーミング、骨董市、街角ウォッチング、本など、私の興味の範囲でなんでも書き込む「陶片窟」のティーサロンですから、「陶片狂の玩具箱」的な内容の記事も、これからはすべて、こちらに書くことに致しました。なお、これまでの「陶片狂の玩具箱」は閉鎖せず、そのまま置いておくつもりです。

 また、ほとんど機能していなかった「陶片茶房」のカテゴリを整理しなおし、新たにタグもつけてみましたので、これまでよりも幾らか見やすくなったのではと思っております。
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by touhen03 | 2008-01-14 01:42 | 陶片窟&別館ニュース

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 今回の河川敷骨董市で、もう一つ買ったのがこれです。学徒と書かれた札、粗末な厚紙製です。業者の方によると、胸につけたものだそうです。裏には、高等科1年当時の(廿年四月ー八月)思い出のしるし 動員(高人?岩国)と記されています。高人?とは何か、よくわかりません。岩国、これは山口県岩国市のことでしょう。少年兵のものです。 高等科1年と言えば、12~13才ではありませんか!私の父も同じ年に14才で少年兵だったのですが、それよりも幼いわけです。あの戦争で最も若い日本兵だったはずです。父はこれは貰った覚えが無いと言っていました。思い出のしるしとありますから、生きて戦後を迎えることができたのでしょう。お祖父さんの遺品を整理した時に、他の雑多なものと一緒にこれも混じっていたのかもしれません。

 これを見た時、買うかどうか、実は躊躇しました。名前も知らない、どこかの男性が、きっと一生大切にしていたものに違いないのです。買ったからには、保存の責任がありそうです。子供まで戦争に駆り立てた異常な時代ですが、その時代を生きた人にとっては、青春の思い出でもあったはずで、今の価値観で切り捨てることのできない部分もあります。気分的に重たいかなあと、一度は買わずに市を後にしたのですが、やはり戻ってきてしまいました。再び欲しいと思っても手に入るものではなさそうです。こんなものは高いと言って値切りにくいなあ・・・と思いながら、値段を聞きましたが、やはり案の定、言い値の1000円で買うことになってしまいました。


この札、学徒という文字から、私は学徒出陣が頭に浮かび、少年兵のものだと思い込みましたが、九州の昭ちゃんさんから、学徒動員で工場で働いた時のものだと教えて頂きました。また、八女の山下さんから、高人?岩国は、帝人岩国だろうと教えていただきました。なるほど、そう言われて見れば、帝人岩国に見えます。なるほど、なるほどです。お二人のおかげで、この小さな紙の札の素性がわかりました。ありがとうございます。当時の子供たちは、未来のための勉強をする代わりに、戦争のために働かされたのでしたね。それでも日本の勝利を信じて一生懸命だった、若い日の思い出だったのでしょう。買ったときの想像とは違いましたが、大切な資料だと思っています。この記事の題、「少年兵の記憶」は、そんなわけで、「学徒動員の札」に変更いたしました。

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by touhen03 | 2008-01-11 01:44 | 骨董市・ガラクタ

 毎月第一土曜、日曜開催の瀬野川河川敷骨董市。フリマを兼ねた小さな市ですので、良いものがあるかどうかは、まったくの運次第。今回はどうかと言いますと・・・

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 おもしろいものを見つけました。国策木製画鋲、戦時中の金属代用品だろうと思います。箱の一部が破れていて、百個入りとありますが、残っている画鋲は少しだけです。でも、私はこれで十分です。
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 どこが国策かといいますと、ほら、画鋲の頭の部分が木製!薄い金属部分の上に木を貼り付けているようです。ささやかな日常品に過ぎない画鋲としては、ほらね、こんなに節約していますから、ちょこっと金属使っているのは見逃してね・・・とでも言いたいのでしょうか。ほんとうに、こんなもの、よく今まで残っていたものだと思います。
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 しかも、これ、少年保護東成学園作業部と書かれています。ネットで検索しただけではわかりませんでした。少年保護とありますから、もしかしたら現在の少年院のような施設で作られたのでしょうか。もし違っていたら、すみません。何か知っておられる方がおられましたら教えてください。


九州の昭ちゃんさんから、同じトラヤの木製画鋲の資料を見せて頂きました。ありがとうございます。こちらは丸い箱に入っていました。私が買ったものより箱がしっかりした感じです。当時、けっこう広く流通していたのかもしれませんね。
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by touhen03 | 2008-01-10 00:05 | 骨董市・ガラクタ