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春の小川の素敵なモノ

 近所の川で見つけた、陶片以外の素敵なモノを撮ってみました。珍しいものではなさそうですが、春の川岸の植物は何度見てもその美しさに心が蕩けそうです。
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 きれいですけど生命力が強いのでしょうね。以前歩いた佐賀県有田町の川も、この季節、菜の花でいっぱいでしたっけ。
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 上の写真、ホトケノザによく似てますけど、でもよく見ると違うんです。下の、よく見るホトケノザと比べてみてください。
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 本来はゴミで、川に無いほうが良いものでも、ある瞬間美しく思えることがあります。川底の空き缶は虹色に光り、水中でゆらゆら揺れてオパールの遊色のよう。傾きかけた太陽のいたずら。
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by touhen03 | 2008-03-30 23:48 | 海田町の川

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 夕暮れ前の30分間、近くの小川で陶片漁り。水質も決して良いとは思えない場所ですが、菜の花は七難隠すとでも言いますか、春の小川は美しいし、楽しいです。
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 これが30分間の成果です。(^^ゞ 上段左から、明治~の型紙摺り皿、明治~昭和戦前の銅版転写皿、たぶん19世紀くらいの江戸陶片。下段左も19世紀の江戸の飯茶碗、右は碍子です。もちろんたいしたものはありませんが、それでも江戸陶片が2つ!疲れない程度の雑魚漁りも良いもんです。
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by touhen03 | 2008-03-30 22:55 | 海田町の川

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 以前、絵葉書の中のレートクレームを取り上げましたが、今回は博覧会絵葉書の中に見つけた平尾レート館です。化学工業博覧会は第一回が大正6年(1917年)、第二回が大正15年(1926年)に東京で開催されています。また大阪でも、大正7年(1918年)4月15日~6月30日まで大阪化学工業博覧会というのがあったようです。他県でもあったかどうかは判りませんが、単に化学工業博覧会となっていますし、表の通信欄が1/3だったのは大正7年の2月までですから、東京で開催された第一回化学工業博覧会の可能性が高いかなと思います。絵葉書そのものも東京今川橋青雲堂発行となっています。化学に関わる企業や、高島屋、松屋、松坂屋、三越、白木屋といった百貨店も参加して大盛況だったそうです。葉書にはミツワ石鹸の文字も見えます。こちらは明治43年(1910年)から売られていたようです。
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by touhen03 | 2008-03-28 23:58 | 骨董市・ガラクタ

鹿ちゃんソフト

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 宮島で見つけた感動モノのソフトクリームです。「鹿ちゃんソフト」と言います。ソフトクリームにトッピングされているのは、もちろん鹿のウ〇チ・・・じゃなくて、麦チョコです。麦チョコふっただけで400円だなんて、ちょっと高い気はしますが、実に雰囲気が出てますので、宮島来たら、これはぜひお勧めです。宮島でなくても、安いソフトクリームに30円の小袋入り麦チョコをふりかけて食べればいいと思ったあなた、いーえ、これは宮島に散らばる鹿のウ〇チを眺めながら食べることで、より一層のコクが出るんですよ。

ちなみに、これが宮島名物、鹿のウ〇チ、そして、ちゃ~んとお菓子も出ていました。けっこう掃除しておられるのを見かけるのですが、それでも、あまりに鹿さんが偉大なのです。
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by touhen03 | 2008-03-26 01:14 | 宮島

宮島・干潟の鹿さん

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 宮島には鹿が多くて、人によく馴れています。他の海岸でしたら、その辺に荷物を置いたままでも大丈夫ですが、宮島でそんなことをしようものなら鹿の餌食になります。紙袋に頭を突っ込みますし、中のものを引っ張り出しますし、ベンチの上に置いたカバンは引きずり落とされてしまいます。写真は、潮干狩りに来て、ひと休みする人達に、鹿がおねだりしているところです。
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 宮島の鹿は幾らでも触らせてくれます。ま、チップ(エサ)を期待しているのでしょう。何も持っていないと知ると、さっさと離れていきました。
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by touhen03 | 2008-03-26 00:59 | 宮島

宮島・陶片達の夢の跡?

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 この干潟の小さな流れに、かつては五弁花陶片がたくさん泳いでいたものです。行けば一度に3つも4つも拾えることなど珍しくありませんでした。活きのよい陶片がそこらへんをバシャバシャ跳ねていました。(さすがにこれは嘘です)
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 ここは近代モノの多い場所で、今でも陶片そのものはけっこうあるのですが、拾いたいほどのものはありませんでした。陶片海岸としての雰囲気は良いのですけどね。
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 いつもはあまり行かない場所も諦めきれずに探しましたが、なかったですねえ。
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by touhen03 | 2008-03-25 01:03 | 宮島

宮島・干潟を覆う海藻

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 今回、宮島の干潟はアオサなどの海藻で覆いつくされていました。これは水質汚染のため、海水が富栄養化したためだそうです。宮島では毎年見られることで、特に珍しいことではないのですが、今年は少し早いのでは・・・?と思います。
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 大部分アオサなのですが、このタイプの海藻もよく見られました。ホンダワラの仲間でしょうか?しかし山陰の海岸などでよく見かけたホンダワラとは違う種類です。山陰の海岸のホンダワラより、実が柔らかく水っぽい感じです。

 実は陶片探しにとって、これは頭痛の種です。何しろこの下に何があっても見えません。足で寄せれば簡単に地面は出てきますが、こう広範囲ですときりが無いのです。今回極端に陶片が少なかったのには、これも確かに影響していると思います。ただし、以前なら地面が出ている場所からだけでも、確実におこぼれが出ていました。それに陶片の出るポイントは決まっていて、比較的海藻の覆われていない場所なのです。そして海藻の無い、干潟を流れる川の中にも、潮干狩りで掘り返された跡にも、陶片は出ていませんでした。
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by touhen03 | 2008-03-23 15:59 | 宮島

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 今回の大潮は鞆へ行くつもりでしたが、午前中は耳鼻咽喉科へいくはめになり、午後から、近場の宮島へ行ってきました。季節も良くなってきましたので、大鳥居の干潟は観光客や潮干狩りの人達でいっぱいです。
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 しかし、陶片の方はほとんどありませんでした。5ヶ月ぶりの成果がこれだけです。宮島は陶片が出なくなりました。写真右側の薄茶色の破片、17世紀の京焼風陶器には裏に銘があり、これは少し嬉しいのですが、江戸時代のものは小さな破片ばかりです。以前はビニール袋が手に重く感じるほど陶片が出て、しかも宮島の場合、その多くが江戸時代までのものでした。目の眩むような陶片海岸が夢のようです。

かつての宮島一回分の質、量と比べてみてください。
 2005年4月 
 昔はこんなにたくさん拾えました。これでも1回分です。
 2006年5月
 以前に比べ減っていますが、これくらいは拾えました。 
 2006年9月 
 ある程度まとまった量出たのはこの時が最後でした。
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by touhen03 | 2008-03-23 15:25 | 宮島

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 かつての対潮楼の姿を伝える絵葉書で、表の通信欄や「きは便郵」という表記方法から、大正時代後半~昭和初期のもののようです。(頂きものです。感謝!)
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 こちらは私が持っていた絵葉書です。同じように見えながら、ちょっと角度がずれているために、それぞれの両端の様子がよくわかります。こんな細かい部分がけっこう嬉しいもんです。こちらもほぼ同じ時代の絵葉書です。
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 比較的近い角度から写した現在の対潮楼です。昭和30年代に埋め立てられたそうです。私はこの県道を利用して鞆へ来ているのですから、あまり言う資格は無いのですけど、この海岸を歩いてみたかったです。お隣の国の使節が、そんなにも感動した景色を、私も見たかったなあ。古い町並みや港湾施設が残っている鞆と言えども、けっして昔のままではないのですね。これから埋められようとしている小さな干潟は、実は江戸時代からの風景のごく僅かに残った部分なのです。鞆の古い雁木や常夜灯のある風景も、それをそっと包む世界が無ければ、本物を使った映画村のセットに成り果てるかもしれません。
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by touhen03 | 2008-03-18 23:32 |

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 福禅寺「対潮楼」は元禄時代に作られた客殿で、国の史跡となっています。かつては対潮楼という名前のとおり、海のすぐそばにありましたが、今では埋め立てられて道路ができています。私も鞆へ行く時は、バスでこの道を通っているわけです。
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 福禅寺は正式名を海岸山千手院福禅寺と言います。海岸山です。良い名前ですねえ。よく見ると極彩色の波間に見えるのは貝殻のように見えます。
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 対潮楼から見た仙酔島と弁天島です。江戸時代、ここは朝鮮通信使の上官の常宿で、1711年の通信使の一人、李邦彦は、ここからの眺めを「日東第一形勝」と讃えています。「対潮楼」という名前も1748年に宿泊した朝鮮通信使によって命名されたそうです。(参考「鞆の浦の自然と歴史」福山市鞆の浦歴史民俗資料館活動推進協議会発行)当時の対潮楼から見えたのは、きれいな海と、仙酔島や弁天島の美しい姿だけだったことでしょう。今よりも危険の多かった船の旅ですから、昔の人にとっては、荒々しい景色よりも、鏡のように穏やかな多島海の風景は一層美しく感じられたのかもしれません。
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 対潮楼からの眺めといえば、どの写真もたいてい、昔と変わらない仙酔島や弁天島が見える角度を写しているようです。しかし、よほど注意深く撮らないと、こんな景色が写ってしまいます。
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by touhen03 | 2008-03-18 22:59 |