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 波多見小学校脇には排水路があり、そこから干潟に小さな流れができています。これはあるぞ、あるぞ、ちょっとくらいは。素晴らしい風景ですね。
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 むむっ、これはなんだろう。拾い上げてみると・・・
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 わははは・・・さすが学校脇。立派な○○隠しでした!
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 おおっ、あった!ここにも、あそこにも。これは小さいながらも陶脈だぞ。
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 ほーら!特に珍しいものが出たわけではないですけど、型紙摺りを中心にこんだけ。籠に盛ってリボンをかけてお届けしたいですね。あげないけど・・・
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by touhen03 | 2009-06-30 00:31 | 広島の島

波多見小学校横の小干潟

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 同じ湾のひと続きの干潟ですけど、途中には護岸ぎりぎりまで牡蠣棚があったり、泥が深かったりで歩くのに向かない場所があります。シオマネキだらけの干潟の後、3つ目に歩いたのは波多見小学校の横です。
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 ちなみにこれは波多見小学校の校章です。湾の中央、海にせり出すように建つ小学校らしいデザインです。
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 校舎の窓から下を見ると、そこは陶片のありそうな素敵な干潟。
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 校舎の裏はもう海。こんな学校で学びたかったなあ。
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by touhen03 | 2009-06-30 00:23 | 広島の島

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 瓦だらけの場所がありました。古い瓦ではなさそうですが、これなら、幾らか脈があるかな。
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 立派なミルの森が塊で漂着していました。今年はミルが目立ちます。まさか陶片食べているんじゃないだろうなあ。陶片やーい!
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 排水溝の土管と、その前に広がる石ころ。ここならあるかな・・・?
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 ありました!型紙摺りですけど嬉しいもんです。これでコトンと迷いが取れました。有るとわかった場所よりも、潮のよく引くこの季節は冒険、冒険。
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 広い干潟にたま~にポツンと銅版転写皿。それなりに感激するもんです。
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by touhen03 | 2009-06-29 23:45 | 広島の島

シオマネキの干潟

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 最初の干潟は「鼻」以外、良い陶片が無かったため、湾に沿った道を少しばかり歩いて移動。このあたりが良い陶片海岸なら、寒い季節でもトイレに困ることはなさそうです。何しろバス停前にホームセンター、ほぼ200メートルおきにコンビニ、パチンコ屋があるんですから。コンビニ前の干潟は特に広くて歩きやすそうでした。
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 すぐ近くの波多見小学校の子供が描いた看板です。どうやらシオマネキがいるらしい。
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 白いハサミが幾つも写っています。干潟一面、小さな蟹が白いハサミを振っています。まるで運動会の揃わないヘタクソなダンスかマスゲームのよう。どこまでもシオマネキだらけで、私が近づくと、あっという間に干潟に潜って、そこだけシーンと妙に静かに思えます。といっても、もともと音一つするわけではないのですが・・・

良い干潟ですけど、陶片的にはどうかなあ。(ーー;) ここはバス停のすぐ近く。今ならまだ予定変更して、前回拾った畑地区へ移動することもできる。どうするか・・・シオマネキに囲まれてしばし沈思黙考?する私でした。
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by touhen03 | 2009-06-29 23:05 | 広島の島

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 6月26日、再び呉市音戸町へ行ってきました。旧音戸町は旧倉橋町とともに、広島湾の入口にあり、今でも陶片探しに良さそうな干潟がたくさんあります。良い陶片海岸だった前回の畑地区も気になったのですが、今回はあえて別の場所へ。音戸町の東側海岸には、バス路線に沿った3つの湾があります。畑地区を含む一番奥の湾(奥の内港)と、去年歩いた旧呉市側、音戸の瀬戸近くの湾、そして今回の波多見~請石周辺(地図の目印地点)です。

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 歩いた湾の看板地図がありました。(クリックするとかなり大きくなります)湾の内側は両側の飛び出した部分を除いて約1.6~7キロ程度ですが、泥の深い歩きにくい場所もあって、実際に歩いたのは、湾の中央で海に飛び出している波多見小学校右側の3箇所、500メートルと小学校左側300メートル、計800メートルです。私としては珍しいくらい長い距離です。陶片は前回の畑地区ほど出なかったせいです。近代の型紙摺りや江戸モノなどを少しずつ拾って歩きました。何回かに分けてお届けします。
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 請石バス停そばの干潟で拾った「鼻」。元は面だったのでしょう。
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by touhen03 | 2009-06-29 08:07 | 広島の島

ミル畑?

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 海藻模様?の茶碗を拾った音戸町、畑大田川の河口に苔のようにビッシリ生えたこれ・・・
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 よく漂着しているミルに似てますけど、丈が短いんです。ミルの一種でしょうか。
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 大量にあるとちょっと不気味ですが、千切れたものはグミキャンデーみたいで美味しそうです。
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by touhen03 | 2009-06-25 08:42 | 広島の島

海藻模様の茶碗

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 銅版転写の器にときどき見られるデザインなんですけど、これ海藻に見えませんか。この茶碗のように、二色刷りが多いようですが、これはかなり雑な印刷ですね。
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by touhen03 | 2009-06-25 08:21 | 広島の島

龍の破片

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 昔はとても人気のある柄だったのに、今では見る影もないのが龍です。お店に並んでいる食器を見ても、動物といえばウサギや猫など可愛らしいものが多いようです。武骨な龍など肩身が狭くなってしまったのです。しかし、干潟や川で拾ってみると、昔のお茶碗には定番柄だったことがわかります。音戸町畑地区の干潟からも、その龍の破片が出てきました。型紙摺り、銅版転写、ゴム印、右端の濃い緑色の破片にも、うまく写らなかったのですが、胴体と雲が残っています。時々こんな色と質感の破片が出ますので、ある時期そこそこ人気があったのでしょう。龍は独特の形をした雲や宝珠と一緒に描かれることが多いようです。

 かつて人間の家にいた食器の中の龍は破片となって、生活排水の流れる干潟や川にひっそりと隠れ棲むようになりました。そんなわけで、日本の海や川には龍が棲んでいるのです。
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by touhen03 | 2009-06-24 08:04 | 広島の島

砥部焼か?

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 もう少し、もう少しはっきり出ていたら良いのに。でも、高台内をよく見てください。確かに数字らしきものがあるように思えます。8か?その上のシミはまるで判別不可能ですが、これはひょっとして、もしかしたら、砥部の統制番号かもしれない○トマークだったのでは。砥部では昭和になっても型紙摺り食器を作っていたそうです。そして砥部の川で○トと思える型紙摺り陶片も拾っています。○にトの字と数字のついた陶片は広島の海岸や川から時々出てきます。
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by touhen03 | 2009-06-21 09:26 | 広島の島

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 これらの小皿と茶碗には窯の中で重ね焼きをした跡(目跡)が表面にあります。特に上段中央の小皿は5つ並んだ丸い跡がはっきり残っていて、良いサンプルを拾えたと喜んでいます。左端のは中央の菊花の周りに2つ、右端のも菊花の中に小さな跡が一つだけあります。おおらかに千鳥を描いた茶碗も見込みに目跡が付いています。そして小皿の裏を見ると、高台が歪んでいたり、ロクロの跡がやや目立ったり、ある程度の共通点もあります。

 銅版転写が量産皿の絵付の主流となった明治後半~大正時代にかけて、他の大産地ではもう、こんな目立った傷跡の付くやり方はしなかったそうですが、主に東南アジアなどに、「伊予ボール」と呼ばれた安価な食器類を輸出していた砥部ではその後も、こんな素朴な作り方をしていたそうです。砥部以外にも、古い技術のままの生産を続けていた産地があったのかどうか、私は知らないので、これらがすべて砥部産かどうかは自信がありません。ただ砥部で見てきた、当時の器と特徴が似通ったタイプが一定数、確実に出てきますので、見つけたら必ず拾うようにしています。

 これらの食器の絵付けに使われた銅版は専門の業者がいたことでしょうから、絵柄で砥部産かどうかを見分けるのは無理があることと思います。けれども、このタイプに多い柄というのは確かにあります。この写真上段左端の菊の小皿は鞆などでもよく出てきますが、今まで拾ったものの多くに目跡がありました。特定の絵柄=砥部ではなくても、砥部に多いデザインというのは多少ありそうです。

 砥部町のある愛媛県と広島は地理的に近いです。砥部産の食器はそっと、戦前の広島の庶民生活の一部を支えていたはずです。戦後の砥部では、質の良い、手作りの食器を作り続けています。それとはまるで別物にさえ見える戦前の砥部産日常雑器たち。空気が意識されないように、水が顧みられないように、食べ物を盛られては、手早く片付けられ、割れたら惜しげもなく捨てられた器たち。それでも時を経て眺めれば、大量生産の結果だとしても、絵柄のズレや、ちょっと時代遅れの技術の跡が、おおらかで素朴な雰囲気を持っています。戦後の民芸っぽい手作り食器も素敵です。でも私は「伊予ボール」時代の砥部焼だって捨てたもんじゃないと思っています。

目跡のある銅版転写皿が広島県外ではどの程度出てくるのかも興味を持っています。見つけたら教えてくださるとうれしいです。
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by touhen03 | 2009-06-18 22:50 | 広島の島