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歌声喫茶のパンフレット

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 何か一つ見つかると、続けて関連したものが出てくる。不思議な話ですが、歌声喫茶について調べるつもりはなかったのに、モノが幾つか集まってしまいました。これは昭和36年発行の歌声喫茶「灯」のパンフレットです。「灯」は「どん底」とともに、当時を代表する歌声喫茶だったようで、今もお店は続いています。パンフには当時の「灯」の外観イラストも載っています。

 このパンフには「山のロザリア特集号」という題があり、「とちらがほんものか?」(歌声の店灯/企画部)、裏にも「山ロザ特集号によせて」(よこやまたろう)といったエッセーが載っています。私が突然読んでも判りにくかったのですが、どうも歌声喫茶によって全国に広がった歌があり、作者不詳だったものが、後に作曲者、作詞者が判明することもあり、人気からレコード化など他の商業ベースにも乗っていった。そこに何らかのトラブルも出てきたのかもしれません。しかし、歌声喫茶には私たちが育てた歌だという思いもあったということらしい・・・このパンフを入手するまで、まったく知らないことでしたので、これ以上よく解らない内容でした。

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 歌声バスなんてものもあったようです。パンフレットの裏に載っていた観光ツアーの案内。みんなでバスの中で賑やかに合唱したのかな。灯友の会会員も募集中で、会員は歌声バスツアー料金も割引してもらえたみたい。



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by touhen03 | 2014-07-29 22:46 | 骨董市・ガラクタ

歌声喫茶の歌集

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 職場近くのアンティークショップで見つけた小さな冊子。紙や印刷の雰囲気に本能的に引き寄せられて手に取りました。何だろうこれ・・・「歌集 どん底」って。そんな題の映画が確かあったけど。ページを繰ってみますと、ロシア民謡、童謡などが載っています。これ、なんと歌声喫茶で使われた歌集でした!おもに昭和30年代、リーダーを中心にみんなで一緒に歌を歌ったという歌声喫茶。テレビの映像で見たことがあります、店内のお客がみんなで肩を組んで歌っている姿。私の青春時代とほんの十数年ずれただけで、何か不思議な世界を見るような気がするのも、思えば戦後の日本社会の変化の激しさなのかもしれません。

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 歌集と言っても楽譜はありません。ひたすら歌詞だけです。目次の後に、第一曲目は、夜でもひるでも牢屋は暗い~♪と「どん底の歌」ロシア民謡です。次は、流れる汗に未来をこめて明るい社会をつくること~♪と「しあわせの歌」これは1955年、電気産業労働組合が新組合歌として公募したものだそう。以下、「ぼくらの歌」「春の唄」「荒城の月」「花」「出船」「浜千鳥」「仲よし小道」・・・いつも学校へミヨチャンとランドセルしょって元気よく~♪なんて、大人が大声で歌ってたのでしょうね。(^◇^)

 この歌集には編集後記もちゃんとあって、「よりよきしあわせのため、よりよき輝かしい未来のため明るく進まんとする“どん底”を愛する皆さんに心をこめてこの歌集を贈ります。」などと書いてあります。

試しに「どん底」で検索してみましたら、1951年、東京新宿に開店した「どん底」が出てきました。ここは歌声酒場といった感じで、なんと今も健在です。独自に歌集を作っていたことも判りました。ただ、大阪にも同じ時期、歌声喫茶「どん底」があったようで、私の手にした「歌集 どん底」がどちらのものなのか、ひょっとして他にも当時「どん底」という名の歌声喫茶があったのか、その辺はわかりません・・・というか、調べてません(^^ゞ

今もカラオケの好きな人は多く、思いっきり歌える場所はストレス発散にも良いのでしょうね。不思議なもので、この歌集を見つけてから、歌声喫茶関係のモノが続けて手に入りました。次回もそれをご紹介します。



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by touhen03 | 2014-07-28 22:15 | 骨董市・ガラクタ

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 前の記事の集合写真に登場していたこちら、エンボス装飾入り陶製フック。シンプルな白い陶製フックは海岸や川の常連さんですが、これは初めて。装飾付きは以前、尚 nao.さんがアップしておられましたが、私もついに拾った。バンザーイ!\(^o^)/ やはりあるのですね。

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 葉っぱのような模様がついています。尚 nao.さんの白い装飾フックとデザインが同じかも。今度は完品を拾いたいです。

さて、1回目の瀬戸田陶片紀行はこれで終了。ちょっと別のものを挟んで、瀬戸田陶片紀行2をアップします。何しろ3回行ってきましたから。3回とも大漁でした~♪



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by touhen03 | 2014-07-27 10:50 | 広島の島

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 昭和の陶片が比較的少ない御寺の干潟ですが、それでも緑の二重線入りの国民食器は出てきました。軍隊や工場などで大量に使われたようです。今回拾った上段左端と中央は丼の蓋と小さな破片で、戦時下の統制番号は確認できませんでしたが、国民食器は統制番号入りの確率が高く、戦時下とその前後の時代に量産されたようです。

 上段右端は私が「緑の縦縞」と呼んでいるもの。こちらは国民食器と違って統制番号は入っていない場合の方が多い気がしますが、統制番号入りもあります。見つけるとつい拾ってしまいますので、強調され過ぎて、他のよくある昭和モノとのバランスを欠くかなとも思うのですが、しかし、やはり目立つのは事実です。干潟で出会い、模様のパターンもすべて干潟で覚えた、生粋の海岸陶片?だと思っています。

 中段の盃二つ。小ぶりで、縁にぼかしたような色がついた、変わった形の高台を持つ、こんなタイプの盃も時々出てきます。右端の高台は桜の花の形をしていて、軍隊を除隊する時に配った兵隊盃にも確かありました。左の盃は高台が「福」の字かも。この手の盃には絵が描かれていることも多いのですが、骨董市のものと違い、干潟から出たものは上絵がたいてい剥げてしまっています。陽に透かしてみましたが、右の盃は残念、判りませんでした。左の盃は上絵が少しだけ残っていました。

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 左の盃、内側のアップです。ズボン?、いやこれは袴かな。刀を構えている武士でしょうか。

 下段左端は吹き墨タイプの飯茶碗、昭和戦前の飯茶碗には、こんな霧吹きしたような模様も多い。昭和よりも古いものもあるようですけれど。その隣はエンボス模様付き陶製フック。その隣のガラス片は大正浪漫な氷コップの縁。かき氷を盛ったお洒落な器、ハイカラなものが出てきましたね。右端のガラス容器は底にエンボスで「ヘラ入」とあります。



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by touhen03 | 2014-07-26 21:42 | 広島の島

銅版転写は少なめ

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 海岸や川の陶片構成で一番多いのは、たくさんの昭和の陶片の中に、ある程度明治、大正の陶片が混じり、中に一つか二つ江戸陶片も出てくるというケースです。昭和の陶片は統制番号入りや戦時代用品を別にすれば、拾わないことも多いので、拾ってきたモノ=その海岸の陶片構成というわけではありません。しかし、それにしても瀬戸田町御寺の干潟には、大正時代以降と思える陶片が少ないように思えました。ここにアップした銅版転写で絵付けした器は明治~昭和戦前に大量生産されたもので、大正時代には量産食器の主流でした。その銅版転写モノでさえ、型紙摺りよりずっと少ないのです。もっとも、型紙摺りも砥部の混入がありますから、御寺の干潟の陶片の正確な時代構成はわかりません。砥部産の混入率は、特徴がはっきり出ているものの数より多いはずです。

 中段左端は鉢の縁の部分、下段の小さな破片は蓋モノで、縁に釉剥ぎがあります。たぶん3段くらいに重ねて蓋がついていたはずです。中段右から2つ目の碗は明らかに近代モノですが、内側に蛇の目釉剥ぎがあります。窯で重ね焼きをした痕です。これも砥部産の可能性が高いと思います。

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 蛇の目釉剥ぎのある碗の模様。拾った時はひょっとしてゴム印?と思いましたが、銅版転写の不鮮明なものだろうと思います。それに、蛇の目釉剥ぎがあるのです。



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by touhen03 | 2014-07-24 07:36 | 広島の島

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 型紙摺りの碗です。海岸や川を歩けば出てくる型紙摺りですが、ちょっとおもしろいモノが出ています。下段右端の碗には、内側にドーナツ状に釉薬を剥いだ跡、蛇の目釉剥ぎがあります。窯詰めの時、この碗の中に小さな器を入れて焼いたのですが、そのまま重ねたのでは器どうしが溶着してしまうため、重なる部分の釉薬をあらかじめ剥いでおいたのです。

 蛇の目釉剥ぎは、本来は江戸時代の技術です。「くらわんか」など江戸時代の雑器にはごく普通に見られます。窯の効率のためには良いのですが、当然釉薬を剥いだ痕は残ります。見た目も悪いし、使っていると汚れもつきやすかっただろうと思います。そんなわけで近代になってからは、少なくとも有田や瀬戸、美濃地方など大産地では蛇の目釉剥ぎは行われなくなります。

 しかし愛媛県の砥部の場合、大正以降、東南アジアなどへ「伊予ボール」と呼ばれた安価な食器を輸出していました。それらはコスト削減のため、古い蛇の目釉剥ぎをあえて復活させていました。地理的に近い広島には、その時代の砥部焼がかなり入ってきているようです。砥部産の食器の場合、明治のものは比較的質の良いものが多く、蛇の目釉剥ぎは驚いたことに、むしろ大正以降の器に見られます。型紙摺り自体、他の産地ではしだいに銅版転写での絵付けに取って代られますが、砥部では大正時代以降も作られ続けています。

 蛇の目釉剥ぎのある、この碗はおそらく砥部産で、大正時代以降に作られた可能性が高いというわけです。型紙摺りに使われる模様の型紙は専門の業者がいたそうで、模様で産地は判らないようですけど、それでも砥部に多いデザイン、「砥部好み」というのはありそうです。蛇の目釉剥ぎのある碗の隣の碗には、よく見ると福という文字が入っています。この柄は砥部に多いです。見込には麒麟がいますが、この派手だけど、やや垢抜けのしない見込模様も砥部っぽいので、これも砥部産の可能性が高いかなと思っています。

 私が文明開化の青と呼んで楽しんでいる型紙摺りの器ですが、一筋縄ではいかない面もあります。とくに瀬戸内海を挟んで愛媛県と接している広島では、砥部産の器の混入率は意外に高いようで、私のコレクションの時代判定を難しくしてくれています。同時に「伊予ボール」時代の砥部焼がおもしろくてたまらなくなっています。干潟から出てくる陶片は、近隣の土地との繋がりを教えてくれることがあります。



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by touhen03 | 2014-07-22 22:53 | 広島の島

型紙摺りの陶片 その2

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 型紙摺り皿の小片、この手のものはすべて拾ったわけではありません。型紙摺り皿はゴツイものが多いですけど、中段右端と中央のような薄手の小皿も一定の割合で出てきます。中段左端の皿の外側の模様は巻物。宝尽くしなどに描かれるおめでたい柄。下段左は縁が玉縁になってます。たま~に拾うことがあります。

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 下段右端はうまく写らなかったため撮り直しました。型紙摺りの器は染付皿がほとんどですけど、ときどき青磁っぽい色をした、色絵の型紙摺り小皿が出てきます。たいてい薄手です。

 たくさん出てきても、小片、やはり拾ってしまいます。次回は型紙摺りの碗にお付き合いください。(^◇^)



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by touhen03 | 2014-07-22 06:49 | 広島の島

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 瀬戸田町御寺の干潟は型紙摺り陶片の割合がとても高いのが特徴です。明治になってから大量に作られた型紙摺りの器。製塩業や北前船の寄港地としても栄えた瀬戸田には新しい時代の物資も大量に入ってきたことでしょう。型紙摺りの器の年代には一部大正~昭和のものもあり、地理的に砥部と近い広島の陶片は特に注意が必要なのですが、それでも江戸後期~幕末頃の陶片がたくさん出てきていますから、その隣り合った時代の器が大量に入ってきていることは想像できます。

 一方、世の中が江戸から明治になっても、庶民の暮らしはそうすぐに変わるわけもない。電灯よりも、洋装よりも早く、型紙で絵付けした小皿や飯茶碗は、貧しい家にも入ってきたのではないかと思っています。薄暗い台所の中に、この鮮やかな青い器は新しい時代の匂いを届けたことでしょう。型紙摺りの青は文明開化の色だったのかもしれません。中段左端の皿の高台内には墨書の跡があります。



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by touhen03 | 2014-07-21 00:21 | 広島の島

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 こちらも瀬戸田町御寺の干潟から拾ったものです。上段左2つは江戸時代。残りの上段から中段の海浜風景皿ですが、上段の2つはいかにも江戸っぽい。中段2つは江戸から明治、微妙な時期のものか。海浜風景皿は広島の海岸、川からたくさん出てきますが、どう見ても天然呉須の江戸モノから、どぎつい合成染料の明治と判るもの、そしてその中間のような微妙なタイプといろいろです。海浜風景皿とは、そんな時代に大量生産されたのでしょう。

 中段右端の小皿は明治時代の美濃地域で作られたもの。岐阜県陶磁資料館の収蔵品目録にも同じデザインのものが「染付印刻鶴図小皿」という名で載っています。これと同じデザインは、広島の海岸や川からも時々出てきます。ただ今回の小皿は、このタイプとしてはやや大きめです。

 下段は合成染料の手描き染付。明治時代と言いたいところですけど、砥部がね・・・けっこう後の時代まで作っているので、近代の手描きぐらいに。



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by touhen03 | 2014-07-20 23:20 | 広島の島

江戸陶片だらけ

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 瀬戸田町御寺の広い干潟中に散らばっていた江戸時代陶片です。1800年以降のものが大部分ですけど、中には18世紀の小さな破片(上段左端2つ)も混じります。上段右から二つ目はたぶん江戸モノと思うのですが、ちょっと不安です。江戸時代の陶片はどこからでも出てきますが、飯茶碗、小皿、湯呑が多いです。ここは多様な食器が出てきました。上段右端や中段左端は鉢、中段左端の鉢には、とぼけた顔をした竜が描かれています。下段右端は変形皿、中段左から2つ目は飯茶碗の蓋です。蓋付の茶碗はちょっと高級品。後白河法皇の皇女や法然上人の伝説もある古いお寺、光明坊のお膝元の干潟は陶片も歴史がありそうでした。



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by touhen03 | 2014-07-20 16:27 | 広島の島