2015年 09月 15日
浦崎町灘・伊予ボール時代の砥部焼
ここに取り上げましたのは、銅版転写の碗。模様の保存状態も良くないというのにアップしました訳は・・・
じゃーん!見込に蛇の目釉剥ぎがあるのです。蛇の目釉剥ぎは窯で重ね焼きをする時に、器どうしが溶着しないよう、あらかじめ釉薬をドーナツ状に剥いでおくものです。本来は江戸時代の量産方法ですが、砥部では大正時代以降、むしろ蛇の目釉剥ぎが盛んにおこなわれるようになったそうです。この頃、東南アジアなどへ、伊予ボールと呼ばれた安価な食器類を輸出していて、コストを下げるためむしろ復活したと聞きました。
それにしても、銅版転写の蛇の目釉剥ぎは、たぶん初めてかも。砥部の銅版転写やゴム印の場合、目跡があるケースが多いのです。蛇の目釉剥ぎは、型紙摺りや、合成染料の手描き、白磁に多いのですけれどね。型紙摺りと言っても、砥部の場合、大正時代以降もバンバン作っちゃってます。瀬戸や多治見、有田などの時代の流れとは別の時間軸があると言ってもいいくらいです。砥部焼は愛媛県砥部町で焼かれたやきもので、地理的に近い広島にはかなり入ってきているらしく、私のコレクションの年代を複雑なものにしてくれています。