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広島の砥部焼 銅版転写の小皿 その1

 私は骨董や、陶磁器の研究からではなく、ビーチコーミングから陶片収集に入っていきました。そのせいなのか、私の陶片への思いは、一般的?な陶磁器の価値観と少しずれがあるのかもしれません。美しさと希少性を別にすれば、私にとって中国青磁も、17世紀の古伊万里も、昭和の安物茶碗も、面白いという一点に関しては等価値なのです。

 海岸や川からは近代の安物食器が大量に出てきます。それらは陶磁器の本にも、骨董の雑誌にもあまり載ることはありません。庶民の生活を支えてきたのに、一段低いものとして、取るに足らないものとして、使い捨てられ、忘れられています。海岸や川はそれらの忘れられた日常食器たちの眠る場所です。人の手を離れた陶片は、本や個人の記憶によって整理されることなく、人の価値観を離れて、あるがままに存在しています。

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 広島で拾った陶片のなかには、古い量産技術で作られた近代の食器たちがあります。たとえば写真の銅版転写の小皿たちですが、表面に小さな重ね焼きの痕が付いています。(クリックするともう少し大きな画像になります。)※1 この痕、型紙摺りタイプの皿にはごく普通に見られますが、それより少し遅れて普及した銅版転写の皿にあるのは珍しいのです。とはいえ長い間拾っていると、ポツリ、ポツリと出てきます。今回、砥部焼伝統産業会館で見て頂きましたら、写真の陶片はすべて砥部焼の可能性が高いとのことでした。そして上段左端を除いて、明治末~昭和初期のものらしいです。プリントも雑で、高台は少しゆがんでいたりするため、銅版転写皿の中では古い時期のモノだろうかと考えたこともありましたが、決して初期の銅版転写ではなかったのです。この時期、砥部は「伊予ボール」と呼ばれた食器を東南アジアへ大量に輸出していました。全生産量の7割を輸出が占める時期もあったそうです。技術革新よりも、できるだけ安価に大量生産することが大事だったのです。そして、その一部が広島へ流れてきていたのですね。お皿としての現役時代、注意して見られることさえなかったかもしれない。無意識に日常のおかずを盛られ、手早く洗われ、重ねて水屋に仕舞われ、そのうち割れて捨てられた小皿たち。それでも広島の庶民の生活の一部をそっと支えていたのです。
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 白鳥の小皿なのですが、さすがこんなに酷い印刷なのは珍しいです。ただ今回砥部焼の可能性が高いと言われたタイプの特徴がよく出ているのでアップで取り上げてみました。印刷が粗雑な傾向があるのと、裏の高台もやや歪んだものが多いです。高台の形も、これが砥部独特のものかどうかはわかりませんが、銅版転写皿に一番多い形とは違います。裏側にロクロの痕のような筋が残っているものも多いです。

もう少し判ったことを整理してから、「陶片窟の引き出し」の中の、「近代陶片に残る古い量産技術」の記事も書き換えることになりそうです。(^^ゞ

※1 下段左から2つ目の陶片だけは裏側に痕があります。私はこれ一つだけしか拾っていません。また、下段右から2つ目のウサギ柄の皿は2つに分かれて出てきたため接着剤で補修してあります。
by touhen03 | 2008-06-15 14:56 | 陶片コレクション