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大正15年山陽本線列車事故の絵葉書 その1

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 今から82年前の今日、大正15年(1926年)、9月23日。東京発、下関行きの特急列車が安芸中野駅~海田市駅間、広島県安芸郡中野村(現在の広島市安芸区中野)付近で脱線転覆事故を起こし、多数の死者を出しました。私が時々陶片を拾いに行く近所の小川の堤防が集中豪雨で決壊し、流れ出た水によって線路の土手が崩れたのが原因でした。現場は隣村とはいえ、私の住む地域から近く、当時は家の近所からも救助活動に参加したそうです。私の父はその当時まだ生まれていませんでしたが、事故の話を親達から聞いていました。また母方の祖母は事故現場を見に行っており、私はその話を子どもの頃から聞いていました。40年以上もの間、私にとって、親達の断片的な話だけで存在していた事故でした。

 ところが、先月の瀬野川河川敷骨董市で、この絵葉書を見つけました。これ以上ないほどボロボロの7枚の絵葉書には、「大正十五年九月廿三日廣島縣中野村ニテ特急一二等列車顚覆ノ惨状」(原文は右横書き)などと書かれ、転覆して破壊された列車や線路の様子、事故現場に集まった群集、収容された遺体や柩が細かく写っていました。絵葉書の中には文字の部分が朽ちてしまっているものもありましたが、他の写真と比較して、同じ事故の写真と判断できました。

 その気になって調べてみると、日本の列車事故としてはけっこう有名なものらしく、ネットでも幾らかの情報を得ることができましたし、JRにも問い合わせてみました。また、事故現場にも初めて行き、写真も撮ってきました。これから何回かに分けてアップしようと思います。
by touhen03 | 2008-09-23 01:01 | 骨董市・ガラクタ