2008年 09月 24日
大正15年山陽本線列車事故の絵葉書 その2
絵葉書には、事故後、たくさんの人が集まっている様子が写っています。大勢の人が救助に駆けつけたそうですが、この人の山はそれだけの人数ではなさそうな気がします。事故現場周辺は当時は田んぼの広がる農村で人口も多くは無かったはずですから、かなり遠くから人々が集まってきたのではないかと思います。母方の祖母は当時16才の乙女でしたが、安芸郡矢野町(現在の広島市安芸区矢野)から(たぶん)歩いて見に行ったようです。(姉妹か、友達か、何人かで行ったのかも?)もしかしたら、この写真の群集の後ろの方にいたのかもしれません。