2009年 07月 29日
昔の絵はがき売り



2009年 07月 28日
福山市田尻町・十三仏バス停前海岸のお宝

2009年 07月 28日
肥前系陶器皿!




→同じタイプの肥前系陶器皿。今回拾った陶片は、水分と汚れで黒っぽく見えますが、洗って乾かすともっと白っぽくなりました。
2009年 07月 28日
穿孔貝
2009年 07月 26日
排水溝の小陶片



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長雨が続き、家の近くもいつもと違う風景です。→「見たものブログ」
2009年 07月 26日
昔のお風呂と水まわり



2009年 07月 26日
再び福山市田尻町の海岸




2009年 07月 24日
不思議な世界・日食の日の贈り物?



天空で欠けていく太陽に今ひとつ反応の鈍かった私ですが、三日月の木漏れ日は怖いほど心のツボにはまってしまいました。日食グラス越しに見る太陽よりも、日常の風景である影が突然姿を変える方が私はすごいと思う。緑豊かな公園の真ん中にいて、溢れるほどの三日月の木漏れ日の中にいる私を想像してしまいました。欅の木漏れ日、プラタナスの木漏れ日、桜の木漏れ日、松の枝ではどうだろう。世界は大小さまざまな三日月の光でいっぱいになる。私のTシャツの上にも、友人手製の布製バックの上にも三日月の光が遊ぶ。そうだ平和公園へ行ってみよう。原爆ドームのそばの大きなクスノキはどんな三日月を懐に抱いているだろうか。ドームの廃墟に三日月の影が射す。崩れた煉瓦の壁に残った窓から射す光も三日月の形・・・これはさすがに無理だろうと頭の隅では思いながら、それでも22日、ふらふらと原爆ドームの前まで来たのは、怪しげな妄想が私の脳ミソに菌糸を伸ばし、乗っ取られていたに違いない気がする。
22日の朝、私はすっかり出来上がってしまっていた。しかし・・・現実の影はあっけないほど弱々しかった。小さな三日月の光を見つけるのでさえ苦労してしまった。ちょっと気の抜けたような、当たり前のような、私大丈夫かな・・・という感じで空を見上げたら、当たり前のクスノキがなんだか美しかったので写真に撮った。その中の一枚が偶然色を失っていた。ひょっとして日食からのプレゼントだろうかと思うのは、まだ脳ミソのどこかに怪しい菌糸が残っているのかもしれない。夏が終わる頃、キノコが生えてこなければいいんだけど。
2009年 07月 22日
部分日食






2009年 07月 21日
文明開化の破片

