2015年 05月 31日
その7 統制番号入りMASTER壜!

次の橋まで行ってみました。江尻川は地図で確認しますと、この先は非常に細い水路となっています。その行き止まりっぽい橋の下に歩けそうな土が見えます。こんな場所には陶片がそこそこあるかも。しかし、ここなら何も5月の今でなくても、潮など関係なく冬に行っても良いわけです。
陶片の山妄想を抱いてうろつきながら、不完全燃焼。この思いをどう処理したらいいのか。ええい、なんでもいい、拾ってみよう。

現場写真を撮っていませんでしたので、持ち帰って洗った後の写真で代用しちゃいます。泥の中に、口の部分だけ出て埋まっていました。泥の柔らかいところにありましたが、幸い手を伸ばしてなんとか抜き取りました。割れていません。中にぎっしり詰まった泥を川の水の中でふるい落としてみますと・・・

ほとんど傷のない陶製壜。戦時下の白磁です。美しいです。

そして、底には、MASTERのエンボスと統制番号「岐849」が入ってました。バニシングクリームの容器だそうで、尚 nao.さんのブログで見た完品が羨ましかったのですが、ついに丸ごと出ました!底にほんの少し欠けはありますが、私の感覚では、これはもう立派な完品です。今までMASTER陶製壜は「岐732」入りと、統制番号無しを拾っていますが、どちらも破片でしたからね。やったー!「岐732」と「岐849」、複数の業者によって作られていたのですね。
けっきょく、この橋の下には他に拾いたい陶片はなく、神様から「まあ、これを持って、そろそろ帰れ」と言われたような気がしました。
でも、帰りませんでした。テンションが下がりっ放しだったのが、これで一気に元気になりましたからね。あの土手から見えた陶片をなんとしても拾いたい。上流からもう一度やってみることにしました。
2015年 05月 31日
向島・江尻川河口のドブ干潟で陶片拾い その6

江尻川は河口に一番近い橋を境に雰囲気が変わります。こちらが橋の上流側で、複数の陶片が見えたのは、橋の下流側、泥の深そうなあたりです。

川の両側に階段はあります。この写真は対岸のものですが、私が下りたのも似たような感じです。ガードレールや鎖はよくあることとしても、川底まで下りたとして、橋の向こう側まで行けるかどうか。これは無理かなあ・・・諦めるしかないか。と思いながら、ふと上流を見ると、次の橋のあたりに土の溜まった場所が見えました。陶片がありそうな。
2015年 05月 31日
向島・江尻川河口のドブ干潟で陶片拾い その5

河口の干潟での陶片拾いは諦めましたが、江尻川の川土手から見えた陶片だけはなんとか拾って帰りたい。それなら干潟の護岸沿いに歩いて、川の流れに出られないか・・・

出られそうなんですけどね。ところがここも、川の流れの近くは泥が柔らかくて進めないんです。ダメです。
しかし、川の陶片だけなら、上流からという手もありますからね。
2015年 05月 30日
向島・江尻川河口のドブ干潟で陶片拾い その4

河口方向を写しています。相当苦労して、川からの小さな流れまでやってきました。ホッとしました。水のある場所は歩けることが多いからです。流れの中で陶片を探し、そのまま川の、陶片のあった場所まで行けるかもしれないと思いました。
しかし、それは甘かった!ここの流れは底が柔らかかったのです。まわりの干潟と同じで、連続して歩けないのです。

干潟の向こうは尾道水道。遠くに見えるのは尾道です。今回は先に備後造船横の干潟を歩いていましたので、干潮のピークはもう過ぎていました。そろそろ潮が満ちてくる頃です。この場所は急いで動くことはできません。小さな型紙摺り陶片を2つ拾ったきりでしたが、今歩いてきた場所を正確にたどれるうちに引き返すことにしました。
ただし、私はまだ諦めたわけではなく、干潟の護岸のそばを歩いて、川の陶片を拾えないかと考えていました。
2015年 05月 30日
向島・江尻川河口のドブ干潟で陶片拾い その3

小さな流れの先に、あきらかに古い、保存状態の良さそうな陶片がごろごろしているというのに、目の前の泥干潟を渡ることができない不運。仕方がないので、川を上がり、遠回りして、写真の向こうに見える家のあたりから干潟へ下りてみることにしました。、

この小さな川の河口は、四角に囲まれたかなり広い場所で、まるで大きな川の埋め残しのような形をしています。このブログを書く段になって、この場所の特徴がよく出た写真がないことに気付きました。どうやって歩くかで頭が一杯だったのでしょうね。
この干潟、川と同じように、入るのは簡単です。堤防には入口が開いていて、良い階段もあります。茶色っぽい土の部分も見え、遠目には歩けそうな気がしました。土の質を見ながら、一歩一歩進みます。ところが、やってみると泥の深い場所があちこちあって連続して歩けないのです。ここはダメだと引き返しては、別の方向から歩いてみるの繰り返しでした。船の縁を持たせてもらったりしながら、小さな流れがある場所を目指しました。干潟で水が流れている場所は底がわりとかたくて歩ける場合も多いからです。陶片も集まっていたりしますしね。
2015年 05月 30日
向島・江尻川河口のドブ干潟で陶片拾い その2

階段を下りてみました。陶片をたっぷり抱えていそうな素晴らしい雰囲気の川です。

川の底は石がごろごろして、固そうな場所もあるのですが、このあたりには陶片はありませんでした。目的の場所へ行くためには、しっかりした土が続いていてくれないと困ります。

干潟の土は目で見ただけで、ある程度歩けるかどうかわかります。小石や砂利のある場所、茶色の土なら最高ですが、泥の場合でも、写真の青丸のような場所は歩けます。まわりの黒っぽい部分だと、ゴム長靴がめり込んでしまいます。うっかり両足を取られるとセメントで固められたように動けなくなる恐れがあります。万一足がめり込んでも抜くことができるよう、必ず片足は大丈夫な場所に置いたまま、歩を進めます。
水の流れている場所は歩ける場合が多いのですが、そこへ行くまでの狭い範囲が黒いふわふわの泥で囲まれていて歩けません。諦めきれずに、念のためそっと片足を置いてみましたが、やはりズブズブめり込みます。ダメです。最初の写真の橋のある辺りまでたどり着くことができません。川岸から見えた陶片を拾ってから、河口の干潟へ行くという方針は諦めました。
干潟へ直接行って、まずそこで拾ってから、川の陶片のある場所へたどり着くことにしましたが・・・
2015年 05月 29日
向島・江尻川河口のドブ干潟で陶片拾い その1

フェリーの船着き場の川から、最初の目的地、備後造船横の干潟までの間には、江尻川という、河口にかなり広い干潟を持った川があります。

川の上から見ても陶片があります。それも、どうやら銅版転写らしい半分欠け皿。まわりにも古そうな大きな破片が見えました。こんなの見ると胸が高まります。これは良さそうな場所です。

どんなに良い場所でも、下りることができなければどうしようもありませんが、ここは立派な階段もあります。ただし、階段の周りの泥がやや深そうで、陶片のあった流れのある場所まで渡れるかどうか疑問でしたが、かりにダメでも、少し歩いて河口の干潟側に回れば下りられる場所があるのを知っていましたし、川の上流にも階段はあります。そんなに苦労する場所には見えませんでした・・・
2015年 05月 28日
向島・富浜の陶片 てんこ盛り


尾道市向島、富浜地区(備後造船横)の小さな干潟から出た陶片、恒例?てんこ盛り!
計39個 内訳は
江戸時代(18世紀~幕末)、江戸時代の可能性があるもの 8、
型紙摺り 10、銅版転写 8、
軍隊用食器 1、統制番号入り 1、
その他の近代モノ食器 4、近代モノ容器 3、
碍子、ローゼット、フック、沈子 4
特徴としては、江戸中期~昭和までバランスよく出ています。江戸時代もそこそこあり、幕末に近いものが多いですが、18世紀モノもありますので、また拾ってみたら、何が出るか楽しみな気がします。近代モノ食器の中に砥部産の可能性が高いものが4個混じっていました。軍隊用らしい食器が出ていますが、国民食器は出ませんでした。わりと注意して見ていますので、今回は小片もなかったと思います。
陶片密度は極めて高かったのですが、昭和のもの、戦後のものの割合も高くて、思ったほどは拾えませんでした。ただし、今回は別の場所でも拾う予定でしたので、いつもより雑な探し方となったかもしれません。すごいモノ見逃していたりして・・・(>_<)
それでは次回は、再び向島の別の場所へ移ります。
2015年 05月 27日
向島・富浜の陶片 その5


その他の近代モノ陶片です。
上段左端は貧乏徳利あたりの口の部分か。中央はポマード容器。ときどき出てきますね。右端は何でしょう。非常に薄いです。汽車茶瓶の断面なんて、もっと薄いかな。これも何かの容器だったのかしら?
下段左端は電灯を天井と繋いでいた部分、ローゼットではないかと。たいてい菊花型なんですけど、ローゼットでいいのかな?これは簡素な形をしています。ローゼットなら、もしかしたら戦時下??その隣はお馴染み、陶製フックです。よく出てきます。その右隣はチビの碍子。可愛いのでつい拾っちゃいました。右端は素焼きの沈子。
2015年 05月 27日
向島・富浜の陶片 その4


こちらは型紙摺り、銅版転写モノ以外の近代モノ食器です。
上段左端は、デザインは18世紀のくらわんか皿によく似てますけど、これは合成染料が使われているようです。明治以降のものですね。その隣の小さな器、これも一定の割合で出てくる近代モノです。これについてもっと詳しく知っておくべきでしょうね。少々放置し過ぎです。(^^ゞ その右隣はゴム印の飯茶碗、統制番号「岐121」入り。多治見市笠原町で作られたものです。右端は竜柄のゴム印飯茶碗の破片。まったくこれ、よく出てきます。型紙摺りでも銅版転写でもゴム印でも、竜柄は多いです。おかげで干潟には高い確率で竜が棲息するというわけです。
下段左は、今回も出ました。軍隊食器らしきもの。マークは残念ながら欠けています。右は盃か。たぶん使い捨てではないかしら。このタイプも時々出てきます。